Archive for the '剣道考察日記' Category

施 無 畏

水曜日, 11月 9th, 2011

浅草観音に上げられてある額の言葉だそうです。

山岡鉄舟翁はこれが剣道の極意だと言われたとか。

敵と相対するとき、何の恐れも持たず、何事も考えず、只ひたすらに戦う事のみに専心する。

そのことで、四戒を脱することが出来る。

剣道で良く言われる、先を取れとはつまり戦いの主導権を握れ、ということ。

先=戦であり、戦は施無畏でなければ成らない。

いわば、集中力の究極状態に成り切れればよい。と言うことだと思います。

11月 09 2011 | 剣道考察日記 | No Comments »

某範士の座右の銘。

火曜日, 10月 25th, 2011

「呑舟魚不遊支流」=どんしゅうのぎょ、しりゅうにあそばず。と読む

意味は、舟を飲み込むような大きな魚は支流では遊ばない。

流れの速い大きな川や大海で悠々と泳ぐ。との意味だと書かれている。

詰まり剣道の技も、ちまちま、こせこせしなさんなとの意味だ。

思い切りの良い、大技で、威風堂々と稽古せよ、例え小技でも確り栄えある打ち方をせよ。と説いておられる。

これを読んで、悠々堂々と、勇ましく、泰然自若と言う意味にもとれなくもない。

此の言葉一度読んで好きに成った。先人賢人は素晴らしい教訓を沢山残してくれている。

自分の剣道の指針にしたい。

10月 25 2011 | 剣道考察日記 | No Comments »

反応すれば手元が浮く

土曜日, 10月 22nd, 2011

剣道で、手元が堅い、とは褒め言葉だ。

要するに相手から攻め立てられてでも中々構えを崩さないことを言う。

有る程度稽古の経験を積んだ人なら理解できると思うが、上手は中々構えを崩さない。

詰まり構えが崩れる(手元が上がる)人は、相手の動きに動揺して、構えが崩れるのだ。

詰まり、動揺が反射神経を刺激して、慌てた動きと成る。

剣道で邪魔なもの、それは余分な力(力み)と、反射神経(過敏な動作)だ。

過敏な動作は打たれたくない病の表れで、見極める度胸と腹が出来ていない。

だから、手元を崩さない稽古も大切な修業だ。

10月 22 2011 | 剣道考察日記 | No Comments »

後の先=先

水曜日, 9月 28th, 2011

剣道で良く使われる。先と言う言葉。

先先の先、先、後の先等といわれます。

先先の先は自分からの仕掛け業。
先は対の先ともいい、出小手や抜き胴など相手の動きに対しての反射的行動。
後の先は返し技、応じ技などを言います。

これはあくまで形に見えた事柄を言っているわけで、本来は先の一字だと言われています。

後の先の言葉を誤解して待って返すと考えがちですが其れでは遅れを取ります。

後の先であっても、サキにせめて相手を浮かせて焦らせて慌てさせて打たせて取る、これが本当の後の先。

相手を引き出して始めて功がそうするわけです。

9月 28 2011 | 剣道考察日記 | No Comments »

不思議な体験

木曜日, 9月 22nd, 2011

剣道は戦いの技術の習得である。其れを通じての人間修行を目的としている事は間違いのない所だと思います。

先日の稽古の折、今までと一寸違う体験を心の中に感じていました。

今までなら、気迫十分に攻めて、先を取り自ら戦いに挑むそんな剣風を自分の剣道だと自認していたのです。

処が、先日は、相手と気を張って対峙はしているのですが、自分から攻めて出て、相手を崩して打とうという気が起きなかったのです。

何処か非常に心が澄んでいました。打たれても良いと腹も括れていました。

ですから非常に良く相手が見える。どうかすると相手の打ちがスローモションに見えることが度々ありました。

打とうとするのではなく、どちらかといえば相手と同化すると言った方が的を得ているかもしれません

9月 22 2011 | 剣道考察日記 | No Comments »

剣道を学ぼうと思えば

水曜日, 9月 21st, 2011

先ず、一番大事なことは、自分がどんな剣道を目指すか。

そのコンセプトを確り見据えて稽古に励む事が、一番大事だと感じます。

昨今、試合が剣道そのものであるように受け取られがちですが、試合はあくまで剣道奨励の手段にすぎません。

其れが近頃では試合に勝つために稽古を積む事が、完全に目的になってしまっている。

勿論、剣道である以上試合に勝てるように努力をすることは尊い事で否定はしませんが、勝つために手段を選ばなくなると言う事が問題なんだと思います。

つまり当てっこ剣道と呼ばれる物に走る事です。

恐らく今では、何が当てっこ剣道なのか、何が、本物志向の剣道なのか、見境がつかなくなっている人が殆どでしょう。

今、長風呂の中で、(汗を掻く事が目的なので)、佐藤博信範士の上級者の剣道を再再読していました。

物凄く良い事が書かれていますが、余りにも簡単に書かれているために、簡単に読み飛ばしている方が多いのではと感じています。

確り中身を把握して読んで頂きたい内容が山積しています。

このことは以前にも書いた事ですが、自分の目指す剣道の方向性をもう一度見直してみるのもまた、足元を固める意味で貴重だと思います。

自分では今も取り組んでいる方法があります。

1構え、姿勢を崩さない事=構え姿勢の崩れは心の崩れ。
2後ろに下がらない事=戦いである以上、気力旺盛に前に出て戦う。
3慎重に成り過ぎない事=打たれることを嫌っていては、反省が出来ない。打たれて不備を知るから、伸び代が出てくる。
4何時も気力一杯に張り切って稽古をする=恐怖感が出なくなり、思い切りの良さが出てきます。
5時間があれば剣道の本を読んだり、精神面に役立つ本を読んだりしています。

9月 21 2011 | 剣道考察日記 | No Comments »

剣道の理合い。

金曜日, 7月 22nd, 2011

剣道の理合い。

其れは何かといえば、合理的な理論に裏づけされた動作と考えれば良いわけで、難しく考える必要はありません。

ですから、剣道の動きは全て(科学的)サイエンスに照らし合わせて合理的に見ていけば良いわけです。

サイエンスもどちらかと言えば、物理的要素が多い。

合気道や、柔道で、相手に力を利用する技がありますが、剣道は全て相手の力&心を利用すれば良い訳です。

簡単に言えば、出鼻面、相手が出て来てくれる。其処を打つ。
出小手、相手が打ちたいから手元が上がる。其処を打つ。
面に打ってきた所を相手の竹刀を刷り上げて面に返すなり、胴に返せば良い。

全て相手の心&力をを利用すれば良い訳です。

其れが証拠に、居合や剣道形には受け流すと言う動作が頻繁に出てきます。此れは相手の力を利用して自分の勝に繋げる技です。

処が、竹刀剣道では、受け流すと言う言葉は余り出てきません。
その代わり良く使われるのが摺り上げと言う言葉です。

ですが、厳密に言えば、すりあげと、受け流すは多少動作とニュアンスの違いが有ります。

先ず、剣道では、受け止めると言う動作はありません。

昔の先生の教えに、「打つ太刀は返す太刀、返す太刀は打つ太刀」
と言われるくらい、相手の打突を返さなければ成らないのです。

確かに咄嗟の場合致し方なく、受け止めざるを得ない状況が出て来ることへも考えられますが、其れは未熟ゆえの動作だというのが剣道通念です。

ですから、剣道形にせよ、居合いにせよ、必ず100%片方が勝つ、その技を練磨しているわけです。

ですが剣道をおやりの方なら解ると思いますが、剣道には完璧が無い。
如何な八段範士といえどもまぐれでも打たれる事は有る。

と言うことは、動作が如何に理論的であっても、心の状態、瞬間の間合い、など理論詰めや計算では図れない事柄が其処に存在しているのが剣道だと思うのです。

ただ、間違いなく理論的動作を身に付けることは、非常に大事ですし、強くなる方法に一番近い事も事実です。

7月 22 2011 | 剣道考察日記 | No Comments »

強い人は何処が違うのか

月曜日, 7月 4th, 2011

剣道は他の運動競技と異なり、高齢に成っても若い人たちに負けないくらいに、戦う事が出来ます。

剣道は幾つになっても進化上達はできますが、いかんせん年齢と共に筋力は衰えます。

その筋力の衰えを、何でカバーするか、間合いの見切り、技の柔かさ、機会の創作、この三点が大きな要素である事は間違いありません。

その事により、若い人たちより無駄打ちが少なくなることでしょう。

剣道で、一口に攻めと言いますが、攻めは目に見えるものではなく、お互いが何となく心で感じる事柄です。

攻められるほうは、精神的に圧迫を感じて、気持ちが落ち着かない状況。

だから、積極的に攻めるほうは、相手をコントロールできる。

此れを昔から「相手を使う」と言います。これが機会の創作に繋がるわけです。

今回、カナダ選手権を見て、試合に強い人を検証してみますと、30代後半で、運動競技的には可也歳ですから、筋力はもう若くはありませんが、この三点を上手く使いこなせていると言う事に尽きると思います。

殆どの若い相手が、蛇に睨まれた蛙の如く、焦りまくりの中で戦ってしまう事です。

だから、尚さら、30代後半の選手にしてみれば遣りやすくなる。

かかるほうは、必死で掛かりますが、其れが焦りにも繋がる。

ですから見て居て、殆どが自滅的に打たれる機会を作り出していく。

そこで、考えてみるに、剣道で打たれる機会は、自滅的に動作を起こしてしまう事でしょうか。

自滅的動作=焦り=打ちたい欲望=無理な機会の打突=隙を作る。と連鎖していくわけです。

剣道で、平常心、不動心を説くのも、何のことはない、この自滅動作を起こさない為の、精神的裏づけを説いた物に他成りません。

自滅動作を起こさない修練が剣道修行とも言えそうです。

7月 04 2011 | 剣道考察日記 | No Comments »

攻めの考察

土曜日, 6月 11th, 2011

熊流攻め方の法則。

攻め方は、勿論、単一では有りません。ですから、此れは熊が自分で取り組んでいる方法です。参考に出来るよう成らして下さい。

熊流考え方では、あくまで相手の中心線(水中線とも言う、眉間から鼻喉臍を通る相手の体の中心線だと考えていただければ良い)に剣先をつけて、脱力したまま、自ら打突機会を求めて、打ち間に入る事を攻めだと考えています。

先ず、以前どこかで説明したと思いますが、中段の構え(セイガン)と言われる構えに5つのタイプがあることはかきました。

剣先の延長が、相手の左目。此れは守りの構えであり、誘いの構えでもあります。

剣先の延長が相手の眉間。此れは相手に対する脅迫の構えで、攻撃的で相手に恐怖感を抱かせるには最上の構えだと考えています。

剣先の延長を相手の喉に。此れもまた、突きえの恐怖感から、上と同じ考え方の基に立つと考えて良いでしょう。

剣先を相手の鳩尾に。此れは相手の手元を抑え、抑制しながら攻め入るには最上の方法だと言えます。

最後は剣先を相手の臍。此れは相手の反逆に対する、用心も含まれますが、自ら攻めに転じた場合は相手に小手を警戒させる構えでもある。

要は、この剣先の位置、高さは、臨機応変に変化し、適材適所で使い分けしなければ効果が無いと考えます。

前に、E-面で説明した遣り方で、間合いを考慮した責め方を考察してみます。

間合い、相手との距離。剣先が触れるところ、触刃の間合いをAとする。

剣先で少し中に攻めはいったところ、交刃の間合いをBとする。

中結い。刃部の三分の一の間合いをCとする。

刃部の真ん中がDとして、Eは其れを超えた、三分の二まで入ったところと考えていただければよい。

だから鍔元はFと考えていただき。Gが相手の打突部位と考えて話を進めます。

熊流では、構え攻めの段階で、腕の力を脱力して間合いに攻め込む時に、どの時点まで竹刀を上げないか、其れをどこませ攻めと言う行為に生かせているかを主題に考えています。

熊はE~Fの中間まで上げません。だから最後の打つ瞬間まで竹刀は上げない事になります。

何故其処まであげないか。其処まで上げなければ、相手を完全に見切る事ができる。

更に、其処まで剣先が相手の中心に付けてあるということは、いつ何時でも、相手の逆襲に対して、対応する事が出来るからです。

と言うことは自分の攻めで相手を完全に攻め切ることにも繋がるわけです。

処が、大体の方々は、A~Bに入ったところで剣先を上げてしまう。

つまり打ち焦りですね。打ちたい欲が剣先を上げさせてしまう。

そこで上げれば当然Gまでの距離も時間もがありますから、相手は出小手も抜き胴も、応じも、すりあげも、容易に出来てしまう。

ですから、A~E,Fの中間くらいまで、剣先を上げないで、更に高さでその都度適材適所で高さの変化を有効に活用できれば、相手は、時には小手を警戒せざる得なくなり、喉元突きを警戒する事にもなり、眉間で恐怖感は煽られるし、手元を押さえられて、出鼻を崩される。

自分の体、特に上半身の脱力コントロールが上手く出来て、この遣り方で、攻め入る時の剣先の高さの変化と、間合いの見切りさえ、上手く使う事ができれば、攻めは容易に相手に通じる事が理解できるのではないでしょうか。

これさえ出来るようになれば、醜い被き技や騙まし討ちなどしなくても相手は十分に踊ってくれるようになると思います。

相手が踊ってくれるようになれば、その崩れたところを打たせて頂ければ其れで良いわけです。

勿論、この動きに(打突)関する、足は、Aから始動して居ます。

左足は蹴る常態の維持が出来ていて、右足はスライド、させながら、其処まで攻め込むと言う事です。
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6月 11 2011 | 剣道考察日記 | No Comments »

構えの進化を考える。

水曜日, 4月 13th, 2011

姿勢、構えを作る。これは必要なのか。この問題を考えてみたい。

宮本武蔵は「有構 無構」と言い、構えは全て切る目的の為にあり、それ以外の目的で構えるものは何一つない、と説いている。

とは言うものの、現存する宮本武蔵の二天一流の肖像画の姿勢は、両刀を自然に下げ、すくっと立った、見事な自然体だ。

確かに、他の運動競技では、素早い動きに対する身構える時、膝を曲げ、腰も曲げる、、レディースポジィション、と言う動きやすい準備態勢を取る。

バスケットや、サッカー、SKI 徒競走などを見れば解る。

昔の、伝書に書かれている、挿絵でも腰を曲げて膝を曲げた姿勢で、刀を持ったのものを見かける。

運動神経、反射神経に重きを置いた、実際の切り合いでは、そんな格好に成らざるを得なかったのかもしれない。

単なる運動競技では、運動神経、反射神経に重きを置いた動きに対する身構え方は如何してもそうならざるをえないのだ。

だが、宮本武蔵の肖像画もそうだが、剣道、剣術に関して姿勢や、構えを作る?(自然体は作ると言えるかどうか?)のは何故か?

熊は此処に大きな疑問を抱いた。

実戦での命の遣り取りには、単に運動神経の善し悪しだけでは片付けられない、精神的安定の維持が、必要不可欠で、その姿勢をもたらしたのではないかという考えに達した。

剣道をおやりになる方々なら、多少なりとも精神、心の有りようが、稽古や試合内容を左右する経験をお持ちであると思う。

ましてや、これが、命を掛けた真剣勝負の切り合いなら、その場での恐怖感、緊張感は極限状態になって当然。

そうなると、如何にその場での精神コントロールが大きな勝敗の分岐点になるか、お解り頂けると思う。

人間、慌てた時、焦った時、呼吸はどんな状態になっているか?
運動競技で意気が上がった状態の呼吸はどうなっているか?

恐らく、肩を大きく上下させて、肺でゼイゼイ呼吸しているに違いない。

当然、体に必要な分だけの酸素量が少ないから肺が其れを要求して、呼吸が粗くなるわけで、呼吸が粗い状態は酸素が血液の中に十分に行渡らない状態と言うことに成る。

血液中の酸素量が減れば、脳に回る血液中の酸素も減るわけだから、思考能力が落ちて当然。

思考能力が落ちている状態は、すなわち、精神状態の不安定がかもし出される事になる。

と考えると、思考能力を落とさず、精神安定のためには、何時如何なる場合でも、呼吸を乱さない工夫がなされなければならない。

座禅を組む、僧の姿勢、背筋が確り伸びて、腹式呼吸で長呼気丹田呼吸を意識している。

また、剣道における呼吸法も、長呼気丹田法を奨励し、実践している。

中村天風氏が説く、精神安定のためのクンパハカと言う呼吸法も同じだ。

この長呼気、丹田呼吸法を取り入れようとした場合は姿勢が悪くては出来ないことはこれらの事例により、想像にくしくはない。

背筋を伸ばし、骨盤に背骨をしゃんと乗せて天を突くように、姿勢を保ち、下腹を軽く閉めて、肩の力を抜き肛門を閉める。

それで、長呼気で呼吸をすれば、心の安定が保たれる。

その姿勢でこそ精神が一番安定させる事のできおる、長呼気丹田呼吸が可能になることを、先人達が経験から編み出したものと推察るる。

だから、言い換えてみれば、剣道の構え、は必然、必要不可欠により、自然発生的に、出来上がってきたのだと考えている。

そして其れが、自然に構える中に風格や、品位というものをかもし出してきたのだと思う。

4月 13 2011 | 剣道考察日記 | No Comments »

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