Archive for the '剣道考察日記' Category
火曜日, 1月 24th, 2012
簡単分析??すると、
1:自分が攻めて出て、相手も攻め返して出てくるが、打たないで対峙する人。:この人は実力があり強い人ですから、要注意。
こんな人は、思い切り腹から攻めて出て勝負するしか方法がありません。小手先の業なら逆に遣られてしまいます。
2:自分が攻めて出ても、相手がその場で対峙する人、:この人もある程度、出来ています。どちらかと言うと、返し技が得意な人が多い。
こんな人は、待ちの剣道ですから、攻撃を二段構えで崩せばいけます。
その待ちの気分、体勢を崩す方法です。
3:自分から攻めて出て、相手が其れに反応して打って出てくる人。
勘の良い人ですがが、逆に見れば、臆病な人、自信がない。
一番引き出して、仕留め易い相手です。
4:自分から攻めて出て、それに反応して後ろに下がる人、此れは二通りの方が考えられます。
一つは、単に臆病で逃げる人。実力差があるので問題なく使えるでしょう。
もう一つは間合いに明るく間合いを切っても、直ぐに攻め返してくる人。この方は要注意です。こちらの気が切れたところを狙ってきたりもします。
しかし、間を切る相手でも、其の後直ぐに打ちに出るのではなくて、慎重に相手を洞察しながら攻めて出て行けば、相手が後手に回るわけですから、最終的には必ず焦って出てきます。
其処を狙えば良い。返しでも良いし、出鼻でも良い。
このとき一番注意をしなければ成らないのは、相手に間を切られても、自分から焦って仕掛けないことで、最後まで攻め切り、間を詰めることが大事です。
相手との間の関係で、相手の力を見抜き、自分の有利な稽古につなげてください
1月 24 2012 | 剣道考察日記 | No Comments »
木曜日, 12月 29th, 2011
最近、自分の姿をビデオに収録して、正直自分の未熟さに愕然とした。
床がコンクリート床の処で稽古をした関係か、踏み込みの右足を無意識にかばいすぎたか、、気剣体の不一致。
そこで、あえてそのコンクリートの床の道場で、基本打ちに徹して稽古してみた。
といっても、相手を元に立てて只打ち込む基本うちは遣る時間が無い。
そこで地稽古の中で、相手と戦いながら、基本打ちだけを実践する。
特に、今回の場合は、面打ちに拘り、三段クラスの連中を相手に。只ひたすら面打ちに徹した。
お陰で3日間くらいの稽古を其れを実践したら、コンクリートの床が怖くなくなり、今はガンガン打ち込めるようになった。
基本打ちは何も基本打ちと決めて掛からなくても、お相手が居る場合でも自分の気持ちさえあれば出来るものだと気づいた。
12月 29 2011 | 剣道考察日記 | No Comments »
水曜日, 11月 9th, 2011
浅草観音に上げられてある額の言葉だそうです。
山岡鉄舟翁はこれが剣道の極意だと言われたとか。
敵と相対するとき、何の恐れも持たず、何事も考えず、只ひたすらに戦う事のみに専心する。
そのことで、四戒を脱することが出来る。
剣道で良く言われる、先を取れとはつまり戦いの主導権を握れ、ということ。
先=戦であり、戦は施無畏でなければ成らない。
いわば、集中力の究極状態に成り切れればよい。と言うことだと思います。
11月 09 2011 | 剣道考察日記 | No Comments »
火曜日, 10月 25th, 2011
「呑舟魚不遊支流」=どんしゅうのぎょ、しりゅうにあそばず。と読む
意味は、舟を飲み込むような大きな魚は支流では遊ばない。
流れの速い大きな川や大海で悠々と泳ぐ。との意味だと書かれている。
詰まり剣道の技も、ちまちま、こせこせしなさんなとの意味だ。
思い切りの良い、大技で、威風堂々と稽古せよ、例え小技でも確り栄えある打ち方をせよ。と説いておられる。
これを読んで、悠々堂々と、勇ましく、泰然自若と言う意味にもとれなくもない。
此の言葉一度読んで好きに成った。先人賢人は素晴らしい教訓を沢山残してくれている。
自分の剣道の指針にしたい。
10月 25 2011 | 剣道考察日記 | No Comments »
土曜日, 10月 22nd, 2011
剣道で、手元が堅い、とは褒め言葉だ。
要するに相手から攻め立てられてでも中々構えを崩さないことを言う。
有る程度稽古の経験を積んだ人なら理解できると思うが、上手は中々構えを崩さない。
詰まり構えが崩れる(手元が上がる)人は、相手の動きに動揺して、構えが崩れるのだ。
詰まり、動揺が反射神経を刺激して、慌てた動きと成る。
剣道で邪魔なもの、それは余分な力(力み)と、反射神経(過敏な動作)だ。
過敏な動作は打たれたくない病の表れで、見極める度胸と腹が出来ていない。
だから、手元を崩さない稽古も大切な修業だ。
10月 22 2011 | 剣道考察日記 | No Comments »
水曜日, 9月 28th, 2011
剣道で良く使われる。先と言う言葉。
先先の先、先、後の先等といわれます。
先先の先は自分からの仕掛け業。
先は対の先ともいい、出小手や抜き胴など相手の動きに対しての反射的行動。
後の先は返し技、応じ技などを言います。
これはあくまで形に見えた事柄を言っているわけで、本来は先の一字だと言われています。
後の先の言葉を誤解して待って返すと考えがちですが其れでは遅れを取ります。
後の先であっても、サキにせめて相手を浮かせて焦らせて慌てさせて打たせて取る、これが本当の後の先。
相手を引き出して始めて功がそうするわけです。
9月 28 2011 | 剣道考察日記 | No Comments »
木曜日, 9月 22nd, 2011
剣道は戦いの技術の習得である。其れを通じての人間修行を目的としている事は間違いのない所だと思います。
先日の稽古の折、今までと一寸違う体験を心の中に感じていました。
今までなら、気迫十分に攻めて、先を取り自ら戦いに挑むそんな剣風を自分の剣道だと自認していたのです。
処が、先日は、相手と気を張って対峙はしているのですが、自分から攻めて出て、相手を崩して打とうという気が起きなかったのです。
何処か非常に心が澄んでいました。打たれても良いと腹も括れていました。
ですから非常に良く相手が見える。どうかすると相手の打ちがスローモションに見えることが度々ありました。
打とうとするのではなく、どちらかといえば相手と同化すると言った方が的を得ているかもしれません
9月 22 2011 | 剣道考察日記 | No Comments »
水曜日, 9月 21st, 2011
先ず、一番大事なことは、自分がどんな剣道を目指すか。
そのコンセプトを確り見据えて稽古に励む事が、一番大事だと感じます。
昨今、試合が剣道そのものであるように受け取られがちですが、試合はあくまで剣道奨励の手段にすぎません。
其れが近頃では試合に勝つために稽古を積む事が、完全に目的になってしまっている。
勿論、剣道である以上試合に勝てるように努力をすることは尊い事で否定はしませんが、勝つために手段を選ばなくなると言う事が問題なんだと思います。
つまり当てっこ剣道と呼ばれる物に走る事です。
恐らく今では、何が当てっこ剣道なのか、何が、本物志向の剣道なのか、見境がつかなくなっている人が殆どでしょう。
今、長風呂の中で、(汗を掻く事が目的なので)、佐藤博信範士の上級者の剣道を再再読していました。
物凄く良い事が書かれていますが、余りにも簡単に書かれているために、簡単に読み飛ばしている方が多いのではと感じています。
確り中身を把握して読んで頂きたい内容が山積しています。
このことは以前にも書いた事ですが、自分の目指す剣道の方向性をもう一度見直してみるのもまた、足元を固める意味で貴重だと思います。
自分では今も取り組んでいる方法があります。
1構え、姿勢を崩さない事=構え姿勢の崩れは心の崩れ。
2後ろに下がらない事=戦いである以上、気力旺盛に前に出て戦う。
3慎重に成り過ぎない事=打たれることを嫌っていては、反省が出来ない。打たれて不備を知るから、伸び代が出てくる。
4何時も気力一杯に張り切って稽古をする=恐怖感が出なくなり、思い切りの良さが出てきます。
5時間があれば剣道の本を読んだり、精神面に役立つ本を読んだりしています。
9月 21 2011 | 剣道考察日記 | No Comments »
金曜日, 7月 22nd, 2011
剣道の理合い。
其れは何かといえば、合理的な理論に裏づけされた動作と考えれば良いわけで、難しく考える必要はありません。
ですから、剣道の動きは全て(科学的)サイエンスに照らし合わせて合理的に見ていけば良いわけです。
サイエンスもどちらかと言えば、物理的要素が多い。
合気道や、柔道で、相手に力を利用する技がありますが、剣道は全て相手の力&心を利用すれば良い訳です。
簡単に言えば、出鼻面、相手が出て来てくれる。其処を打つ。
出小手、相手が打ちたいから手元が上がる。其処を打つ。
面に打ってきた所を相手の竹刀を刷り上げて面に返すなり、胴に返せば良い。
全て相手の心&力をを利用すれば良い訳です。
其れが証拠に、居合や剣道形には受け流すと言う動作が頻繁に出てきます。此れは相手の力を利用して自分の勝に繋げる技です。
処が、竹刀剣道では、受け流すと言う言葉は余り出てきません。
その代わり良く使われるのが摺り上げと言う言葉です。
ですが、厳密に言えば、すりあげと、受け流すは多少動作とニュアンスの違いが有ります。
先ず、剣道では、受け止めると言う動作はありません。
昔の先生の教えに、「打つ太刀は返す太刀、返す太刀は打つ太刀」
と言われるくらい、相手の打突を返さなければ成らないのです。
確かに咄嗟の場合致し方なく、受け止めざるを得ない状況が出て来ることへも考えられますが、其れは未熟ゆえの動作だというのが剣道通念です。
ですから、剣道形にせよ、居合いにせよ、必ず100%片方が勝つ、その技を練磨しているわけです。
ですが剣道をおやりの方なら解ると思いますが、剣道には完璧が無い。
如何な八段範士といえどもまぐれでも打たれる事は有る。
と言うことは、動作が如何に理論的であっても、心の状態、瞬間の間合い、など理論詰めや計算では図れない事柄が其処に存在しているのが剣道だと思うのです。
ただ、間違いなく理論的動作を身に付けることは、非常に大事ですし、強くなる方法に一番近い事も事実です。
7月 22 2011 | 剣道考察日記 | No Comments »
月曜日, 7月 4th, 2011
剣道は他の運動競技と異なり、高齢に成っても若い人たちに負けないくらいに、戦う事が出来ます。
剣道は幾つになっても進化上達はできますが、いかんせん年齢と共に筋力は衰えます。
その筋力の衰えを、何でカバーするか、間合いの見切り、技の柔かさ、機会の創作、この三点が大きな要素である事は間違いありません。
その事により、若い人たちより無駄打ちが少なくなることでしょう。
剣道で、一口に攻めと言いますが、攻めは目に見えるものではなく、お互いが何となく心で感じる事柄です。
攻められるほうは、精神的に圧迫を感じて、気持ちが落ち着かない状況。
だから、積極的に攻めるほうは、相手をコントロールできる。
此れを昔から「相手を使う」と言います。これが機会の創作に繋がるわけです。
今回、カナダ選手権を見て、試合に強い人を検証してみますと、30代後半で、運動競技的には可也歳ですから、筋力はもう若くはありませんが、この三点を上手く使いこなせていると言う事に尽きると思います。
殆どの若い相手が、蛇に睨まれた蛙の如く、焦りまくりの中で戦ってしまう事です。
だから、尚さら、30代後半の選手にしてみれば遣りやすくなる。
かかるほうは、必死で掛かりますが、其れが焦りにも繋がる。
ですから見て居て、殆どが自滅的に打たれる機会を作り出していく。
そこで、考えてみるに、剣道で打たれる機会は、自滅的に動作を起こしてしまう事でしょうか。
自滅的動作=焦り=打ちたい欲望=無理な機会の打突=隙を作る。と連鎖していくわけです。
剣道で、平常心、不動心を説くのも、何のことはない、この自滅動作を起こさない為の、精神的裏づけを説いた物に他成りません。
自滅動作を起こさない修練が剣道修行とも言えそうです。
7月 04 2011 | 剣道考察日記 | No Comments »
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