Canada Youshinkan Kendo Dojo

常に再構築を考える

最近自分の稽古の中で、僅かな小さな動きが物凄く大きな効果を発する事がわかり、正直、驚きを隠せないでいます。

今まで稽古で必死になっていた場合、身体の僅かな動きまで中々、冷静な判断が下せなかったと言うことがある。

詰まり自分で自分の動きが、解っている様でも、が良く解かって居なかったとも言えるし、更に冷静さが増し、今まで以上に細心な身体分析が出来るようになったとも言える。

まあ、何れにせよ、新たな発見では有るが、技術とは如何に繊細かを改めて再認識しています。

最近生徒達に、良く話すことに、二人の自分を持てと言う事。

一人は、勇猛果敢に戦う、戦気に満ち満ちて一心不乱に戦う気迫有る自分。

今一人は、其の中での全ての状況判断を冷静に下せる自分。

全く正反対の人間を自分の身体の中に住まわせていなければいけない。

上記の、認識は、後者の冷静な状況判断が更に磨きが掛かった自分なのだと思う。

例えば、面摺り上げ面を遣る時でも、右手主導と左手主導、梃子主導では全然違った効果、確率が得られる。

また、打突時の右足の着地位置の僅かな違いで、技の働き具合が完全に異なる事も発見できた。

勿論、それに伴う左足の引きつけ状況にも変化が出て当然。

もっと、細かく言えば、竹刀を持つ手の握りの僅かな緩み閉め具合で、冴えや、強さ、竹刀操作の良否が大きく異なる。

この事は、通常の稽古の中で其の繊細な動きの効果の違いを感じる事が出来なければ、改良も改善も出来ないわけで、上級者に成れば成るほど、敏感さが求められるのではなかろうか。

これは普段の稽古の中でも常に心がけて自分をリサーチする癖をつけておいたほうが良いと思います。