Canada Youshinkan Kendo Dojo

事理一致

事理一致=じりいっちと言う教えがあ ります。

事=は仕事、体の働き、動作、所作、と考えれば良いと思 います。
理=は心と解釈される方が居ますが、理は理合い、合理=理論と考えれば容易に理解できると思 います。

勿論、理の深い所には、宇宙の大真理にまで発展するので、心という解釈は正しいので すが、あまりのも抽象的で解り難い。
だから当面は理=合理性に基いた理論と解釈して間違いは無い と思います。
では、その言わんとする所は何か、
つまり体の所作動作を合理的に働かせ 無ければ、いけませんよ、と言うことだと思います。

試合や、お稽古を拝見していて、中には非常に不合理な動きをする人が居ます。
その人は自分の進歩を自分で止めている。と考えられます。

現在、我々が理合いだと言って、先人の教えを紐解いていますが、昔は真剣勝負の中から発明されてきた経緯が在ります。 一つ間違えば命が無い。

ですから、それはものすごく真剣に研鑽されたであろうことは容易に想像が出来ます。

だから昔の教えや、理合いには真理が隠されていると熊は確信しています。
それを如何に探求していくか、それが今、自分に取り非常な楽しみになっています。

昔、熊が居合いを習っていた頃は、「それで、真剣勝負が出来るか、 」という事が、前提に在りました。最近は、試合に如何勝つかが重要視されて、見せる居合いになって来ていると感じて居ます。 如何に所作を美しく見せるか、それがポイントになってきて居ます。
剣道でも、竹刀で当てれば良いという風潮が蔓延して、真剣勝負の理論とはかけ離れた様相を呈しています。

という事を検証してみると、もはや、剣道は事理一致は考えなくても、運動神経、反射神経で剣道をすれば良い時代に成って来て居ます。
しかし、そんな剣道でよしんばその場勝てたとして、本当に 生涯剣道に繋がるか、と考えますと恐らく、答えはNOと言わざるをえないでしょう。

他の運動競技は80を超えるまでは続けることが難しいでしょう。是は剣道だけが持つ特権です。運動神経、反射神経、体力だけに頼っていては剣道は続けられません。

先人賢哲が命がけで発明探求してきた真理をないがしろにして、本当の剣道の発展など、嘘で固められた普及発展に他なりません。
それが証拠に、どれだけの回数、審判規則が変更されたか、本来人間同士、学びの場としての試合であれば、審判規則など必要が無いはずです。

剣道は、事理一致の追及、探求してこそ、本当の剣道に成るのだと考えています。

正しい理論にのっとった剣道、それの追及、普及が一般に、求められているような気がして成りません。