Canada Youshinkan Kendo Dojo

人間の本能

毎回の稽古で感じる事。
人間は如何に弱いか、と書き出せば、何と大仰なと捕らえられるかもしれない。
問題はそんな大げさな事ではない、たかが剣道である。見た目、竹刀の叩き合いである。

そのたかが竹刀の叩き合いで有るが、如何に皆叩かれたくないか、この点を見ていくとその弱さが見えてくる。

剣道の敵は、相手ではない、自分に在るということを良く 云われるが、自分ほど厄介なものは無い。

だから昔、在る禅の高僧が上手いことを云った。

「心こそ、心迷わす心なり、心に心 心許すな」

自分の心が自分の心を迷わせる元だから自分の心に迷わされないように気をつけろ。
と言うことだ。

稽古をしていて捨てる、と言うこともよく聴く言葉だ、処が実際は、どうか、ややもすれば打たれずに打とうと、 面をかばいながら打って来るのが居る。

捨てる処ではない、剣道で打たれずに打つ方法などありはしない。それなのに、自分をかばいながら、変則的に打とうとする。

見ていて醜い。いつも思う、そんなに打たれたくないのなら、面を着けるなと。面をつけなければ先ず打たれる事が無い。

面を着けて、打たれる事を覚悟の上で、自分の道を切り開く、だから修行に繋がる。打たれずに 打とうと考えている間、修行になぞ、絶対になら無い、むしろ逆効果にしか成らない。

何故か、自分の心を欺いているからだ。宇宙の大真理にそむいているからだ。 正しくない事を学んでいる事になるからだ。是は怖い事だと思う。

昔から剣道界では当たり前のように言われている、「打って反省、打たれ て感謝」本当か?と、聞きたくなる人が多い。

だまし討ちを平気で使い、打たれる番に成ると逃げ回り、三処避け見たいな姑息な事をしてまで、打たれる事を嫌う。こんな事が本当に人間形成にお役に立つとお考えか。

剣道修行が先ず人間形成に繋がる物で有るならば、先ず以って打たれる事を嫌っていてはできるものではない。 人を騙してまでも打とうとする卑しい本能を捨てなければ、出来る物ではない。

本能が持つ、 騙し打ちをしても勝ちたい、逃げ回っても、打たれる事を嫌う、その本能を克服する事が、剣道修行 では無いのだろうか、それを鑑みると、別世界が見えてくる。

剣道修行の本願は本能を克服する所から始まるのだと考えている。