Canada Youshinkan Kendo Dojo

耳年増は簡単

熊は良く人に言われることがある。

「熊さんは何故、自分で勉強してきたことを惜しげもなく人に教えるのですか?」と。「勿体無くないですか?」と・・・・

多分此れは、小川忠太郎先生の言葉が切欠になっていると思う。

「カナダに行ったら、恐らく稽古相手が居ないでしょう、そんな時は自分の生徒を育てなさい、自分の生徒を育てて其の人達を稽古相手にして、自分の稽古に役立てなさい」

と教えられた。だから一日でも早く自分が教えた生徒の人達に上達して欲しいと願い、自分の稽古、研究もさながら如何伝えたら解りやすいかを研究してきた。

それで気付いたことがたくさん有る。自分が理解していない事や、自分が遣って見せれないことは、説明しても嘘になると言うことだ。

だから自分が納得できるまで体も掛けた積もりだし、研究もした。勿論多くの先生方に教えも受けた。自分自身、剣道中心の生活だったと言っても過言ではない。だが自分の剣道まだまだ満足はしていない。

そこでもう一つ感じた事、此方がどれだけ言葉巧みに説明しても、習うほうが体を掛けて自得する努力が無ければ物には成らないと言う事。

だから熊は、知る限りなんでも教えるし、教えることには責任を持ち、見本を見せることが出来ることしか教えていないつもりだ。単なる受け売りで話すことは出来るだけしない様にしている。

だから人様に教えても、何のことは無いのだある。教えたからとて直ぐに出来るほど剣道は簡単ではないし、甘いものでもない。

だが、ヤハリ手助けをした方々には一日でも早く理解して頂き上達して頂きたい。そして其の方々からお稽古を頂くとき、其れが必ず自分の稽古に反映してくる。何処かでお手合わせ頂いた時に必ず、自分に帰ってくると信じているからだ。

今まで何人の方々に剣道を手解きしてきたか記憶に無いが、教えた方々、教え子は沢山居るが、本当に自分の弟子と呼べる方々は少ない。

教え子、と弟子、同じように聞こえるかもしれないが、教え子は単に教えただけ、弟子は剣道を通じて、我が子、もしくは我が弟のような関係に成らなければならないだろう。

其処までの信頼関係が結ばれた方々は非常にに少ないと感じている。だから人様に教えることは何でもない。弟子に成れる、成ってくれるまで、熊に追従してきてくれる人は少ないからだ。

熊とて、羽賀の親父が弟子と認めてくれたのは、去年のことだ。ひょんな事で、親父に紹介状を書いてもらった。其の中で弟子と言う言葉を始めて見た。36年間、師と仰ぎ続けて、初めて目にした「我が弟子」と言う言葉。

読んだ瞬間感激で身が震えた。心から嬉しいと思った。日頃から弟子は持たないが口癖の親父。だから、其れを考えると、弟子は中々育たないと言う事だと思う。

だから熊が人様に知る所を教えたとて、何と言うことは無いのである。要は其の方々がどれだけ教えを守り、努力を続けて行けるか、其れを身に着けて行けるか、それには気の遠くなるような、精進を続けて、初めて自分のものに出来ることを熊自身が知るからに他ならない。

家庭を巻き込み、生活全てを剣道中心に出来る人。遣れる人は、ごく限られた人にすぎないからだ。だから、勿体無くも無ければ、何でも無いのだ。

只、熊が学んできたことを、発表することで、後進の方々が少しでもお役に立てていただけるなら、それで十分幸せなのです。

世の中にはこんな馬鹿も必要でしょう。