Canada Youshinkan Kendo Dojo

こだわり。

昔、20代の頃、構え方がどうのこうの、姿勢がどうのこうの、剣先がどうのこうの、竹刀の握りがどうのこうの、と未熟ゆえに、色々とこだわりを持ちながら、稽古をしていたように思う。

それはもう本当に、微に入り、細に要り、工夫を重ねていた。また其の工夫をすることが楽しくて仕方が無かった。勿論、其の工夫が、上手く行くこともあれば、駄目なときも有る。

しかしながら、だんだん、自分の剣道が進化していくに連れて、工夫の方向性に、一種の自信みたいなものが芽生えてきた。

それは何故かと言うと、自分の周りに居てくださる先生方が超一流の先生方で、考え方が皆さん同一方向の指導をなされていたからだと思う。

先ず、子供の頃、初めて剣道を習った先生は、岩上先生。当時三段。最終的には五段になられたのだが、其の先生が教えてくれた構え、いまだに熊の頭の中で生き続けている。高々三段の先生が、左手の納まり、骨盤の維持のし方、等、知っていたのだから驚く。

そして、少し稽古が出来る、高校生くらいになると、立野政治七段、攻めの強い剣道で、何時もふらふらに成るまで仕上げられた。其の先生の強い攻めのお陰か、熊自信も攻めが強い方だと自認している。と言うことは、其の立野先生の指導が、いまだに生きているのだと思う。

そして、熊の剣道人生を完全に変えた、師匠、村雲清信七段。
この方の剣道理念、またそれを実践される人間的にもそれは素晴らしい先生で、この先生との出会いが無ければ、絶対に今の熊はありえない。それほど大きな存在価値の有る先生でした。

この先生のお陰で、幾多の素晴らしい先生方との出会いが熊の剣道を進化させ続けてこれた、最大の要因でしょう。

渡辺敏夫範士、堀口清範士、小川忠太郎範士、西善延範士、榊原正範士、森島建男範士、羽賀の親父も村雲先生の引き合わせでした。

其の羽賀の親父のお陰で、楢崎正彦範士、中西康範士、井上義彦範士、佐藤博信範士に可愛がられて、警視庁の錚々たる先生方にも知己を得ました。

名前をあげれば限がありません。師匠の教えに忠実にこだわり続けた、其の証が今の熊の剣道を作り上げ、さらにこれからも進化し続ける原動力になっているものと思う。

剣道では、無心になる為に、拘りは持たぬほうが良いと言う。
だが、無心になりきれる境地までは相当の時間を要する。だから、良い拘りであればどんどん、こだわり続けたほうが良いと思う。

それが、自己の剣道を昇華させる最短距離を走れる道だと信じるからだ。