Canada Youshinkan Kendo Dojo

「昔の先生」

昔、正岡一貫と言う、居合道範士九段、剣道範士七段の先生から指導を受けた。

今は殆どが全剣連居合が中心に成ってしまったが、その頃は、まだ、試合も多くなくて、学ぶのは古流が殆どだった、丁度全剣居合いが、7本制定された頃の事である。

その頃熊が習った居合いは、実戦に近いものだった。今の制定居合いはどちらかと言えば、審査、試合に統一性をもたせる為に決められた物であるから、どうしても実践的考えから幾らか剥脱している。

その先生は、物凄い研究をされていた、著書もあるが、今は同じ流派でその弟子筋に当たる方でもその本の通りに抜いている方はお一人も居ない。其れは何故か、段審査に有ると思う。

段審査を受けようとすれば、どうしても力の有る審査委員に取り入らなければ成らない。そうすることによりその審査委員の言う事や、考える事、教えられる事をやらねば合格できないわけで古い教えや、理合いがドンドン消えて行ってしまったと考える。

何故熊がこんな事が言えるのか、其れはカナダと言う剣道から診れば僻地のような所で、修行を続けていると、当時、日本の情報が全く入ってこない、だから、昔習ったそのまま稽古を続ける事に成る。当然古い時代がそのまま残ると言う事になるからだ。

それで渡加11年経過で、居合いの6段を受けに日本に帰国して講習会成る物に出た。もうその頃は正岡先生は鬼籍の人である。新しい勢力下、制定居合いが幅を占めていた。

勿論、制定居合7本は、日本でも修めて居たので、3本だけ新たに学べば、何等問題は無かったのだが、古流を習った通りに抜くと、色々クレームが付いた。 で、熊は納得が行かない事は耳にいれない頑なな処があるので、その理合いを聞いた、答えが帰ってこない。理合いが無い。昔からそうだ、としか言われないの である。其れは可笑しいと思った。

正岡先生は、特に居合いは、刀を抜く、命がけの状況下での事。爪の垢ほどの無理も無駄もあっては行けない、其れが居合いという物だと申されて、理合いは徹底してて教え込まれたからである。(其れが現在の熊の剣道感にも現れているミクロの矯正は其れ)

六段拝領後、羽賀の親爺にその本を見せて、意見を聞いた。親爺は、正岡先生はさすが物凄い研究を成されていたんだね、君はこの御流儀を続けなさい。と言われて自分の研究の為にと、熊の手元に2冊あった正岡先生の著書を1冊日本に持ち帰られた。

だが此方としては、この流儀を続けても誰も解らないし知らない時代が来る。
要するに、時代遅れに成る訳だ。古い大範士が今の剣道審判規則をご存知何位似ている。だから、その正岡流古流は熊の教え子、一子相伝にしようと考えた。

段位審査は、現在の段位審査用の居合いを学べば良い。だが古流の持つ真理は誰が何と言おうと、歴然とした、真理、真実が其処に隠されている。一つ間違えば命が無い。其れが原点だからだ。

だが指導者の端くれとして、時代遅れで、とうとうとしている訳には行かない、何故なら熊から居合いを学ぶ人は皆、時代遅れではすまないからだ。それでどうせ、古流が鍋に蓋で世に出ないなら、新しく居合いを学び直そうと決心して、羽賀の親爺に頼み変え流をさせて頂いた。

何故なら、羽賀の親爺は正岡先生の居合いを認めて、自分もその中から学び自分の居合いに生かそうとされた。その謙虚な態度が、真理を求める武芸者の心と熊には映ったからだ。