Canada Youshinkan Kendo Dojo

「一生掛かる物」

剣道がある程度強くなり、実力が着いて来るに従い、誰もがぶつかる大きな壁がある。
剣道で言えば大体六段から~七段がその勉強に悩まされる事だと思う。

七段で其処の所がある程度クリアーできれば八が見えてくるのでは無かろうか。
それは何か?脱力である。何時如何なる場合でも、どんな時でも体の筋肉に膠着を出さないで、自然に動けて、技が出せる。そんな状態を維持できるか如何かが鍵だ。

勿論、剣道の要素は間、距離、時間、気力、集中力等、精神的なものから肉体的な物まで幅が広いのだが、その精神的なコントロールと、肉体のコントロール、脱力とは無関係ではない。

つまり、俗に言う、打突時に起きる、力むと言う厄介な自分だ。何故力みが出るのか、
この力み、それすら自分に出ているか、出ていないか気付かないで居る人が多い。
しかし、この力みが自分に出ているかどうかの判断が出来なければ上達は望めない。

熊自身もこの力みには本当に苦労させられた。若い頃に、ダンベルや、エキスパンダー等で筋肉を鍛え、俗に言う筋骨隆々、的体を作り上げていた。

処が、ややもするとこの筋骨隆々は馬鹿力は出るかもしれないが、筋肉その物を硬くしている事が多い。その為に玄妙なる技前、冴えた打ち、体の切れが具現で きない。自分の筋肉が自分の意志の邪魔をする。厄介な事だ。自分で自分の邪魔をする、こんな矛盾は何処にも無い。だから剣道は難しいのだ。

それで、その硬さを取るのに今も非常に苦労をしている。やっと最近である、硬さが取れてきたと自覚が出来る様になったのは、剣暦50年にして初めて感じた、脱力の世界。

範士の先生方とお稽古頂いて、先ず違うのはこの脱力だ、皆さん非常に柔らかい剣捌きを成される筈だ。体、足、肩の力、腕の力の最小限の力だけで、最大限の打ちを表現成されている。

剣道に於ける修行は、心の持ち方で、からだの筋肉も自由を得て、自在に使う事が出来る様になる。何故硬くなるのか、そのことを探求しなければ自己の剣道の将来は無い。