月曜日, 12月 22nd, 2008
剣道において、虚実の攻めとはよく言われることだ。
大先生方は、「実を攻めて、虚を打つ」と言われる。此れが難解。
そこで、実は充実していて、隙の無い所。虚は不十分で油断、隙のある所、と簡単に解釈しておけば間違いが無い。
だが、実際の稽古の中で、何処が実だか何処が虚だかそんな事が簡単にわかる訳が無い。
大体、瞬間的な判断を五感が感じたとき、体が自動的に発動しなければ役に立たない剣道において、オ!今が虚だとか、此処が虚だとか感じた瞬間はもう既に機会を逃していることに成る。
では、どうしたら 其の虚を掴む事が出来るのだろうか。
熊は、日本に帰国するに際し、良く警視庁で稽古を頂いてきた。
あそこの先生方は、とにかく、有無を言わせぬ強さがあり、こちらがどれだけ充実した気勢を示していようが、お構い無しにガンガン出てきて討ち取られた。
つまり、実を攻めて、実で討ち取る。とでも言えば解るだろうか。
その経験から、熊も、出来る限り其の強さに近づけないかと、お粗末ながら、努力をしてきた。
そこで少しだが理解できてきたことがある、実は、強い人は、相手が如何様であろうとも、実でで攻めて、相手が瞬間的に怯む、其の瞬間。つまり虚になる所を、打つと言うことが理解できた。
だから、虚実の攻めは、相手の虚を探すのではなくて、相手の虚を作り出す。要するに攻めて崩して打っていると言うことだと理解している。
それだけ、強い有無を言わせぬ攻めの強さ、気あたりが身について始めて効果が出るのだと言うことが理解できる筈だ。
12月 22 2008 | 剣道考察日記 | No Comments »
土曜日, 12月 13th, 2008
此処で、こうして剣道に関して書いているが、自分の書いたものを読み返して、今までどれだけたくさんの方々から教えを頂いてきたことか、驚いている。
長年、といっても高々50年位の剣道修行だが、言葉では言い尽くせない感謝の念でいっぱいだ。自分の人生どれだけ剣道で救われたか、若い頃は剣道で学んでいることを人生に活かすことなど考えも及ばなかった。
だが、寄る年波と言えば良いのか、段々と、知らず知らずに教えを全うしようと、心がけていると、其の中から、人生の危機に直面しても、何とはなしに乗り切れてきた。
剣道の実技的な事は、体を掛けさえすれば、誰にだってそこそこは行けるのではないだろうか、要は正しい運動動作を工夫をして自分の体に馴染ませるだけの事だ。
だが精神面は、常に自分の心に問いかけて、真正面から取り組まないと、直ぐに易きに流れてしまう。自分の心ほど頼りないものは無い。
禅の高僧ですら、「心こそ心迷わす心なり、心に心、心許すな」と言っているくらいだから、心の有り様は難しいのだと思う。
だが、其れとて、最近は、あまり心が揺れなくなってきた。其れは、正しいことだけ、正確に判断して、正しいことだけ遣る努力さえしていれば、天地神明に掛けて、心にやましさが無ければ、全てが好転していくと言うことを、自然と感じたからだ。
良く、剣道の稽古で、打つ打たれる稽古の中で駆け引きを遣る人が居る。確かに、試合巧者と言われる人は、駆け引きが上手い。
だが、段々稽古が出来上がってくると、駆け引きは逆に自分を弱くしていることに気づくはずだ。本当の強さは駆け引き等で身に着く物ではない。
本当の強さは、確固たる自分の信念に基づいて発揮されてくるのであると思う。真正面から全てを受け止めて、真正面から取り組んでいく。其れでこそ本当の実力が着いてくるのだと言うことが解るはずだ。
今まで幾多の先生方に教えを頂いて、やっと其処まで気付ける位にまで成長させていただけた。有り難い事だと、感謝している。
12月 13 2008 | 熊のつぶやき | No Comments »
木曜日, 12月 11th, 2008
剣道の中で攻める方法は色々有るが、ヤハリ、何と言っても中心から攻めるのが常道。
其の中心からの、攻めも色々有るのだが、簡単に書けばこんな風になると思う。
中心を攻めるにも、相手の、鍔元を少し下から攻める。小手を警戒させる。其の事で、相手は小手をかばおうと、剣先を開くことがある。其処を打てば良い。
又、中心でも、臍を攻めれば相手の竹刀の上から手元を押さえた形て攻める事になる。竹刀は押さえる必要は無い。
臍を攻めて間に入れば相手が手元を浮かせようとする。処が、此方は攻め切って、準備が出来た状態だから相手が手元を浮かせても此方の竹刀の下で引っかかり、対応が遅れることになる。
又、其の状態からなら気で相手の上に乗り打つことが出来る。
心臓を(水月)攻める。相手はコレが一番厄介な筈で、攻める方は何処にでも変化できるからだ。通常の構えを変えることなく、完全に相手の体の中心を割って入る状態で、相手が変化しても簡単に対処できるはずだ。
足で、攻め入る感じで、上半身には幾ばくの動きも無い。だから上半身はいかようにでも対処で切る。
其れとこの攻め方は、一足一刀の間合いでは、剣先の延長が相手の目と竹刀が一直線になり、竹刀の長さが見えなくなる。 俗に言う、三角矩の構えになる。
喉元を攻める。突きえの恐怖感を誘う。此れも相手をい居つかせる効果が大。突きから面とは昔からよく言われる攻め方だ。
目を攻める。相手の視覚に恐怖感を与えて、居つかせることが出来る。人間視覚で反射神経が働く、腹が出来ていない人は此れで十分に居つかせることができるはずだ。
コレだけで五段の異なる攻めが出来る、其れに強弱緩急をつければ、攻め口は無限大に広がる筈で、自分の攻撃に膨大な幅をもたせることが出来る。
ただ一貫して言える事は、自分の剣先を相手の水中線から外さない事。
それで相手が出てくれば簡単に刷り上げ、応じが出来る事につなる。相手が突いてこれば、なやすこともできる。
勿論、相手の動作に対応できるだけの右手の脱力が不可欠になる。
だが、危険なのは、自分が其処を攻めるときに、右手に余分な力を入れることだ。自分では殆ど気づいていない人が多いが、殆どの人がその時に右手始動になっている。
右手始動になると、殆どの場合、攻めが弱くなり、返し、応じ、への対応も遅れがちに成る。
其処の所を如何に克服できるかが、上達への大きな鍵になると思う。
12月 11 2008 | 剣道考察日記 | No Comments »
水曜日, 12月 10th, 2008
12月6日から三泊四日でトロントに、居合道の講習会と昇段審査を兼ねて行って来ました。ついでに指導者の会議もあり、毎日が忙しく過ぎていきましたが、外気温がマイナス10度、粉雪が吹雪いていました。
講習会は三段以上六段受験者まで熊の担当。皆さん、可也詰めた稽古を成されていて、審査に対する意気込みを感じました。
中には女性で六段にチャレンジされる、弁護士の方がいて、熊が、全剣連居合は、この本の通りに抜いてください。此れが鉄則です。これ以外の動作は一切が自分の癖で作り事ですから、古流と混ぜないように。と申しました所。
彼女は全剣連発行の英文の翻訳解説書が、以前発行されたものと最近発行されたものでは中身の内容が異なる書き方がしてある部分がある。どちらが正しいのか?と質問に合い、最近の物しか読んでいなかった熊としては説明に窮した。
全剣連が公に発行している書物解説書が二通りある様では、指導書として如何なものか、おまけに彼女職業柄、書物の隅から隅まで読むのはお手の物。おまけに立派な居合を抜かれる方で、良い恥をかいてしまった。
今回の審査で、受験者が53人。一番彼らが困ることは毎年日本から招聘される先生方の指導が変わることだと言う。
制定居合は、事細かに動作所作が決められていて、何通りの教え方があるわけが無いのだが、恐らく先生方の考えを織り交ぜて説明されているための混乱ではなかろうか。
日本から指導に見えられる先生方はくれぐれもご自分の考え方で、自己流の指導をされないようにお願いをしたい。制定居合は厳格に決められたとおりに抜くように成っている。くれぐれも忠実に解説書の通りにご指導頂きたい。
其れを徹底して頂きたいと念ずる。そこで、彼らにアドバイスさせて頂いた。若し今度、日本から先生を招聘されるときは、カナダ剣道連盟から全剣連を通じて、八段審査員の有資格者を招聘するようにと言っておいた。
其の先生方は全剣連が今一番気をつけて指導をされていることを忠実に伝えて頂けると信ずるからである。
今回の審査、格段、それぞれの力量が格段毎に精進の深さがはっきり見て取れたことは嬉しい事でもあった。
海外と言えども確り稽古をしている人々も居るということを忘れないで頂きたいと深く思った次第。
12月 10 2008 | 新着情報 | No Comments »
木曜日, 12月 4th, 2008
最近、左足を痛めて難渋している。原因が解らないのも有るのだが、今まで出たことが無い痛みで、今年の春先から繰り返し繰り返し出てくる。
其の痛みが最近は引かないで痛いまま、其の痛みが強くなったり弱くなったりで、慢性的に痛みが続いている。
痛みが和らいでいる時は稽古をしているが、以前のように、機会が見えて、ここぞと言うときに、飛べないのが悔しい。
反射神経で、感じたとき、本能の赴くまま飛ぶと、激痛が走る。だから、有意識で、極力攻めて相手を完全に居つかせた状態で、完全な機会でないと飛ぶことが出来ない。
そんな体を克服しながらの稽古なので、逆に色々工夫しなければ稽古に成らないので、弱い頭を捻りながらの稽古だが、見方を変えれば、良い研究期間中だと言う事も出来る。
お陰で、昔、羽賀の親父から聞いていたことの裏づけに、確信がもてた事が出てきた。
親父曰く「攻めとは、いかに自分の左足を相手に近づけることが出来るか」と謎めいた事を言ったことがある。
其れは、剣道中段の構えからの打突は、左足が起点になり、其の蹴りだしで、飛ぶわけだから、左足が相手に近ければ当然、自分の間が有利になることは理解できるので、其のなぞは解けていた。
だが実際面で、心がけて気にはしていたが、今までの打突で、通じる事も有り、其れを深く研究するには至っていなかった。
親父の元気な頃の稽古は、特に足捌きに特徴があり、素晴らしい足裁き体捌きで、稽古をしていた。水澄ましが水面をスイスイ滑るが如く、左足が前だろうが後ろだろうが関係なく何処からでも打突が出ていた。
今、自分の左足が、強い力に堪える事が出来ないので、サット間合いに入って打突することは出来ない。だからじりじりと攻めて、慎重に間積りをして、出なければ機会を捉えられないので、無駄打ちが少なくなり、無駄打ちが出来なくなってきた。
そこで、触刃の間から、交刃の間合いで、左足を完全に右足の横にまで引き付けて置いて、攻め合いをしておいて、ここぞ、と感じたときに、打って出てみた。自分の間が相手から近いので有利に打つことが出来る。
おまけに左足を右足に引き付けて置くには、相当の胆力も必要になることも、再発見出来た。ゆえに、左手の納まりを意識しなければならないことも、副産物で、更なる再確認も出来た。
昔の教えに、「敵から遠く、我から近い間」と言うのが有るが、まさに其れ、本来の意味合いは、気の働きのことをさしての言うのであるが、此れもまた真なり、と感じた次第。
たまには、体のどこかが都合が悪くなるのも満更捨てたものではない。お陰で大きな拾い物をした。痛みで従来の働きが出来ない左足に、感謝、感謝である。
12月 04 2008 | 剣道考察日記 | No Comments »