Archive for 10月, 2008
金曜日, 10月 31st, 2008
昔のビデオで京都大会の八段の立会いと、最近の八段の立会いを見ていて感じることがある。
一番気になるのは左手の納まりだ。最近の八段の方々には、失礼だが左手の納まりが確りしている方が少なくなった。此れは試合偏重で、叩きあいの上手い方が増えてきたせいなのか、どうかは解らないが、立会いの間中、左手がヒョコヒョコ動いている人が非常に多い。
昔の先生方は、見ていて確りと左手が納まり、其の気迫と自信が左手に表れていた気がする。
熊は若い4段くらいの頃に、榊原正先生に喧しく言われたことがあった。「左手の納まりはその人の剣道の位を表す、だから左手は確り収める稽古をしなさい」と
確か、全日本選手権、50周年記念大会のアトラクションで、谷口九段のお稽古を拝見した。
それは見事な左手の収まりで、日本を代表する七段や若手八段、範士の方々を微動だにしない左手で攻め立てて、おられたのが非常に印象に残っている。
だから最近、自分でも可也意識して左手の納まり、それを攻めに伝える工夫をしているが、左手が確り納まると、攻めが倍増されるくらいに、相手に威圧感を与える事を感じることが有る。
それとやはり一番大事なのは、左手が納まると、不動心と言おうか、相手の攻めに容易に動揺しなくなることだ。だから、左手の納まりは、その人の剣道の格を表すと言われる所以が良く解る。
未熟な熊ですら、呼吸法で、臍下丹田に集められた気が左手に膨大なエネルギーとなって伝わるのが解る。その気のエネルギーが左手を通り剣先にまで、目に見えない力となって出て行くのだ。
大範士の先生方とお稽古頂くと、何とはなしに気おされる感じがするのはこの気のエネルギーが剣先に現れている為なのだ。
先ず不動心を作り上げたいとお考えなら、左手の納まりを工夫されるのが一番の早道だと考えている。
熊は今、左手の親指の第一関節が、臍前、拳二握りの所に納めている。
10月 31 2008 | 剣道考察日記 | No Comments »
水曜日, 10月 29th, 2008
剣道では、自分の稽古振りを治そう、または上達しようとするとき、其の技成りを研究するときにはどうしても意識をしながら、稽古をしなければ成らない事がある。
其の意識がないと、単なる汗を掻いてるだけで進歩はおぼつかない。だが、其の稽古も段々上達するに従い、意識をしなくても体が自然に動くところまでいくようになる。
つまり有意識から、無意識の段階に進むので有るが、結構難しいと感じている方が少なくない様に思う。
それは単に、体をかける稽古が少ないから出来ないだけで、昔ある有名な指導者が研究した本によると、一つの技を覚えるのに10万回稽古すればできる様になる、と書かれていた事を思い出す。
10万回、若し、仮に素振りを例に取ると、普通のスピードで、20分で1000本、1時間で3000本の素振りができる。
100.000÷3.000=33.333時間掛ければ新たな技が完成できると言う事になる分けだが、この時間、長いと感じるか短いと感じるか・・・・・・・
仮に、毎日、1時間ずつ素振り同様に技の練習をしたとする。約一月後にはほぼ完成された技が身に付くと言うことではないか。
例えそれが、一拍子の面の打ち込み稽古だったとして、3倍~4倍の時間が掛かったとしても、3ヶ月~4ヶ月で物になる計算だ。
遅くとも半年掛ければ十分ではないか。そう思って熊は稽古をしていた。実際には、そんなに数ある技を稽古するわけではない。
現代剣道では、打つところが四箇所、其のうち殆どが先の業で小手と面、相手が打って来た所を返して打つのも、小手返し面、面刷り上げ面、面応じ胴。
後の業は殆ど気にしなくて言い位のものだ。
と言うことは5つの技を稽古すればいいことに成る。
と言うことは三年も真剣に遣れば大体技は身に付く。後は地稽古の中で応用に対応していけば良いのではないのだろうか。
だから、打ち込み稽古と、約束稽古(技の稽古)誰かともに歩む人で、相談してやればお互いの得になる。
10年真剣に遣れば一角の剣客になれる、それが証拠に、羽賀準一先生は20歳かそこらでで中山博道先生に入門して25~6で日本有数の剣士に成っておられる。
世の中にはそんな人も居るのだから、ようは遣る人の工夫とやる気次第だと言うことがわかる。
10月 29 2008 | 熊のつぶやき | No Comments »
日曜日, 10月 26th, 2008
あるサイトで、「現代剣道は実践では役に立たない」と書いた文を目にした。勿論、平和な現代、刀を人切りの道具になぞ考えてもらいたくもない話なのだが、剣道家で刀の扱い方を知らない人が多い事にも驚く。
全日本剣道連盟にはご存知の如く、居合道と、杖道も段位審査が行われて、それらが三種の武道が含まれている。
居合い道を遣られる方々の中には杖道も平行して学ばれている方々も多いと思うのだが、剣道を学んでおられる方々で、居合い道も学んでおられる方は少ないように思う。
統計を見たことが無いので、あくまでも推測の域を出ないが、あまりにも刀の扱い方を知らない人が多いのでそう感じるのだ。
だが、剣道と言うからには、剣=刀であるから、剣道家の方々は少なくとも刀の扱い方ぐらいは、勉強して欲しいと思うものだ。
この話はあまり書きたくない話なのだが、以前、アメリカで全剣連からの派遣で、指導講習会が開かれたことがあった。
当時、アメリカではまだ居合道が盛んでなく、講習生の一人が、筆頭講師の日本の先生、剣道八段に、全日本剣道連盟居合いを手解きして欲しいと嘆願したことがあった。
其の先生は、恐らく、居合い道は未経験で有られたのでは無いかと思うのだが、講習の時間を割いて、教本を読みながら、居合い道を説明、講習されたことがあった。
其の途中、がどうしたことか、刀に反りがある為に、逆鞘になり刀が鞘の中に納まらないと言う、無様な体をさらしてしまった。
まあ、とんだ、恥をさらしてしまった訳だが、何処かの大会で、剣道範士同士の形でも、納刀が逆鞘になり、失笑を買ったと言う話を聞いた。
現代剣道が、如何に竹刀の叩きあいとはいえ、剣道で有る以上、刀の扱いくらいは学んで頂いたほうが、絶対に良いと思う。
剣道には、剣道形も必修科目としてある。其の形を拝見すると、刀を扱っている方の形と、そうでない方の形には雲泥の差が出る。
ご本人が知らないだけのことで、見ているほうは結構目が肥えていたりする。恥をかかない為にも、いや剣道である以上、刀の扱いは必修科目であることも忘れてはならない。
模擬刀であれば、値段も高くない。木刀よりはぜんぜん良い。
木刀でも鞘つきの物もある。最低でも、抜刀、納刀くらいのお稽古はできる。
真の剣道を求められるのであれば、是非考えて頂きたい事柄だ。
10月 26 2008 | 剣道考察日記 | No Comments »
金曜日, 10月 24th, 2008
最近、メールで白人さんが見学を申し込んできた。稽古着と竹刀は持ち合わせていて、防具は着けた事が無いとの事でした。
「どうせ来るなら、稽古着と竹刀を持参して稽古に参加してみたら」と水を向けてみた。
其の彼が水曜日の稽古に参加した。今、丁度、初めたばかりの、初心者の白人女性も居る。丁度いい切磋琢磨の相手だ。
剣道は、おかしなもので、誰か競い合う相手が居ると長続きする。其の前に去年入会した、カワイさんとポールさんが同じ1級で頑張っている。
この二人良い意味でのライバルに成ってくれれば良い、白人女性は以前書いたが美人で中々のセンスが良い。まあ、ボーイフレンド?がアキラなので、彼が個人的に教えているのだと思うが、素振りだけ見ていたら初心者とは思えない竹刀の振り方をする。
剣先が走るのだ。其の点、今回来た彼は竹刀は振れるが剣先が走るとまでは言いがたい。面の上で竹刀が止まるのだ。(此れは殆ど何処から来る人でもそう習っているらしい)だから、あごまで切り下ろすように指導したら、ちゃんとそれを遣り始めた。中々素直で勘が良いと睨んだ。
ただ、今まで何十人と白人さんを教えてきたが、剣道で一番難しいところがある。此れは日本人でも同じなのだが、極端に白人さんが弱い部分がある。それは謙虚さだ。
彼らはプライドが高く、どうかすると傲慢で、謙虚に物を考えることが苦手なふしがある。謙虚さが中々身に付かない。この謙虚さの考え方が幾分理解できるようであれば成長できるのだが、中々難しい。4~5段になればもう一流の先生気取りになる輩が多い。苦笑。
デンマークから来た4段も熊の道場には顔を出さなくなって他道場で元に他って稽古をしているらしい。熊のところでは、打てる相手が居ないから、良い顔が出来ないからだ。
今まで、育てた中で、謙虚という考え方が解るのは、大砲と、半分日本人のアキラ位ではなかろうか、、まあ、ポールさんも大人だから今の所、謙虚に稽古はしている。
まあ、最近の日本人も中々謙虚な考え方で剣道に取り組む人が少ないのも事実だが、せっかく剣道に興味を持ったのだから、長続きしてくれたら良いと願っている。
10月 24 2008 | 新着情報 | No Comments »
木曜日, 10月 23rd, 2008
バンクーバーから二時間くらい車で北に登ると、世界最大級のSKI場がある。2010年の冬季オリンピックにも指定された、ウィ一スラーだ。
其処のSKI場が今、混迷の呈をさらけ出している。と言うのは、サブプライムローンで始まった米国の不景気、アメリカ人の別荘が多いここでは、今シーズン、可也の減客を余儀なくされるらしい。
正直、熊のような貧乏人は不景気でも生活にはあまり変化をきたさないが、別荘をもつような金持ちは、マネーゲームで出す損失も馬鹿にならないだろう。
其の損した連中がわざわざカナダまで出かけてきてSKIをするかどうかだ。殆どのレストランが心配で右往左往していると聞いた。
特に高級レストランが、打撃をこうむる率が高いのだと聞いた。
おまけに、このSKI場の持ち主がアメリカのNYの投資会社の物で、今回の株暴落の恐慌被害を諸に受けたらしい、今期の営業が出切るか如何かさえ、危ぶまれる話が出てきた。若し、営業が出来ないとなると、街全体が廃墟と化す。
昔、日本で肉屋を遣っていた頃、暖冬でSKI場に雪が無い冬が二年続いた。沢山のホテルが破産寸前に追い込まれたことがあった。
売掛金の回収物凄いエネルギーと時間を割き、苦労した事を思い出す。五年かけて何とか元を取り戻したが、もうこりごりだ。今の経済は、実質を動かす経済ではなく、架空の数字だけでやり取りするビジネス。やはり可笑しいのは可笑しいのだ。
時代は変われど、物の本質は変わらない。踊らされる人は俗欲が在る人。踊らされない人は、本当の賢人。踊れない人は金の無い人。貧乏人の負け惜しみでなく、無い方が良い場合も在るのだ、正常な判断が下せなくとも、損もしないからだ。
10月 23 2008 | 熊のつぶやき | No Comments »
水曜日, 10月 22nd, 2008
最近、熊の周りで、アドバイスを聞いてくれている方々の中に、体を鍛える、足腰を鍛える、と言う話が良く出て来ることが有る。
熊自身も、昔は体は鍛えるものだ、足腰は鍛えるものだと勘違いしていた時期がある。確かに、運動能力、筋力はある程度鍛えなければならないが、それよりももっと重要視されなければ成らない事が、あることに気づいた。
それは体の使い方だ。つまり、間接、それに付随する筋肉をどのように働かせて、自由な動きを得ることができるかそれが剣道では、大事な要素になることだけは間違いない。
それが証拠に、年の召された範士の方々は若者のような、筋力が有るはずが無い。
だが、どうして、若者が筋力の盛りを利用して、打ち込んでいってもびくともしなければ、手玉にとって遊ぶかのごとく使われてしまう。
それはなぜか、体の使い方、に無理と無駄が無いからではなかろうか。
たとえば、若者が筋力を利用して、遠い間合いから思い切りの良い面を打ったとする。所が、範士に出鼻面でしてやられる。
こんな事は何処にでもあることで、剣道界では別に不思議でもなんでもない。それでは何故、範士はそのようなことがなし得るのであろうか。
相手が打ち込んでくる、当然其の機会には間合いが近くなる、其の間が一番いいときに範士は無理なく無駄なく打てるから其の機会を捉えることができると、考えられないだろうか。
昔、羽賀の親父が教えてくれたのだが、鍛えすぎた筋力は、筋肉が硬くなり、技上達の邪魔をする。と言っていたことを思い出す。
つまり、鍛え方が間違っていれば筋肉が硬くなり、自然な打突動作が出来なくなるという事なのだ。
だから体は使いようを、学ぶ必要が有るのだと言う事を、忘れてはならない。
足の動かし方にしろ、肩、腕、手首、指の使い方にしろ、筋力だけではない、動かし方一つで、効果が出るか出ないかが決まるのだと思う。
10月 22 2008 | 剣道考察日記 | No Comments »
水曜日, 10月 22nd, 2008
Youshinkan Dojo
Location: Ryerson United Church
2195 West 45th Ave (at Yew St)Vancouver.
Thursday 7:30~9:30PM Kendo
Saturday 7:30~9:30PM Kendo
Location: Vancouver Japanese Language School & Hall
475 Alexander Street (at Jackson St)
Vancouver, BC
Sun 6:30pm – 7:30 pm (Iaido):7:30pm – 9:30 pm (Kendo)
Fee: $180/6 months
Anyone interested in joining our dojo is welcome to drop by to watch our practices.
For more info: Contact Motoki Asaoka (masaoka@nikuya.ca)
10月 22 2008 | English Info | No Comments »
金曜日, 10月 17th, 2008
バンクーバーの秋は、雨が多い。この雨が降り出すと気温が急激に下がりだす。10月も中旬を過ぎると、毎日が雨と言ってでも過言ではなくなる。
バンクーバーの自然の中での紅葉は針葉樹が多いために、綺麗とはいえない、紅葉も葉が殆どが黄色く色ずくだけ。ただ街路樹に見事な深紅に紅葉する樹が有るが、名は知らない。
自然の山の中で紅葉するのではないので、雄大な紅葉とはかけ離れている。
所が広い国、東部、トロントからオタワ、モントリオール、ケベックに至ると、メープル街道と呼ばれそれは見事な紅葉を堪能できる。
カナダの国旗に代表される、楓の紅葉。此れはバンクーバーでは見れない。バイメープルと呼ばれる楓はあるのだが黄色く色つくだけで紅葉はしないのだ。
紅葉に関しては、やはり日本の紅葉が一番だと思う。以前遊びで訪ねた、盛岡から宮古に出る途中の山々の見事な紅葉、電車まで徐行運転してくれて、紅葉を楽しませてもらった。
あの光景は今も尚、瞼の奥にある。あの色とりどりの交錯した紅葉はここカナダではお目に掛かる事が出来ないのだ。
おまけに、10月は雨が多いので、街路樹の紅葉も地に落ちて、マンホールの口を塞ぎ、路肩に大きなみづたまりを作り上げてしまう。
バンクーバーにも四季が有るとは言う物の、やはり、日本と、どこかが違うのだ。 日本の風情はやはり日本人でしか理解できないのだと感じている、。
10月 17 2008 | 熊のつぶやき | No Comments »
日曜日, 10月 12th, 2008
約一年ぶりに会員20名が熊宅に集まり、楽しいい一時を過ごした。
今回子供の父兄に、剣道から何を得るのか、本来の目的は何か、それをレクチャー出来たのが大きい。
殆どの父兄は、礼儀を身に着けさせるため、確りとした態度を身に着けさせるためと剣道を習わせたと言う方が殆どだった。
勿論、剣道学習には色々な側面が期待できる。そこで何故そんな側面が身に着けられるのか、話をした。父兄は至極納得されていたので、間違っても、試合の勝ち負けに一喜一憂されることは無いだろうと考えている。
子供たちにも話した。敵は相手ではなく、自分の心だと。大きい子は理解が出来たようだ。だから大きい子供たちに、其のことを小さな子供たちに伝える役目が君たちの仕事だ。
だから剣道は途中で止めてはいけないのだと言うこと、仕事や、お産で一時的に剣道から離れることが有ってでも、必ず続けるように話した。強くならなくても、試合に勝てなくても剣道から学ぶことの大きさを話して聞かせた。
続けることが、人間として自分を昇華させる一番の方法なのだと。剣道は打たれて感謝。打って反省。此の考え方は人生全てに通じる事を話した。親御さんも一緒に頷いていたね。
此れで益々、父兄も生徒も剣道が更に好きになってくれただろうと思う。
他道場では、5段受験者が、熊の道場に出稽古に来ている2段の子供から、剣道形を習っていたと言う。彼は審査の前一月だけ稽古をして5段受験をするらしい。去年もそうだったらしい。だから勿論落ちた。それが理解できていない。
何のための修行か、何のために剣道を学ぶのか?哀れとしか言いようが無い。こんな人間だけは間違っても育てたくない。
10月 12 2008 | 新着情報 | No Comments »
木曜日, 10月 9th, 2008
さて本題。
3の段階で、ある程度、動じない腹が出来たとする。
と言うことはこの辺りから、もう3つの要素を加えていかなければ本物の攻めに近づくのは難しい。
1は脱力である。肩の力が抜けて、返し技が自由に使える状態でないと、効果が出せない。
2は反射神経からの離脱である。これを得るためには、反射神経が邪魔になる。
3がここで書きたい本命、見切りである。
見切りとは、相手が打突動作を起こしたとき、小手に来るか、面に来るか、突きに来るか、はたまた引き出そうとしているか、確りと見極めなければならない。
打突は、部位に当たる瞬間まで安全な訳だ。その当たる寸前に技を返せば、相手は伸びきった状態だから、其処からの変化を起こすのは難しい。
そのぎりぎりまで我慢して相手の打突が見切れるかどうか、ここが一番肝要になる。
その為に、できるだけ相手の打突の竹刀を自分に引き付ける必要がある。
相手にしてみれば、メンに行ったと思ったら返されたと言うのが一番辛いはずだ。
確実にこてが打てたと思った瞬間返された、これでは万事休す。
その為に、自分としては、脱力が出来て自由自在に返し業が出来る状態でなくてはいけない。
また、反射神経が良すぎて相手の動作に反応が早ければ、面に来たと思って返すか受けるつもりで、手元を浮かせたところを小手に変わられたと言うことも良くあるケースだ。
だから、反射神経ではなく本当に相手の動作を完全に引き付けて見切る腹が必要になるわけだ。ここに本当に打たれても動じないだけの覚悟が居る。
その覚悟が出来なければ、如何しても相手の動きに併せてしまう事になる。相手の動きにあわせるのではなく、自分の動きたいように相手を誘導する。
其れくらいに成らないとここは掴む事が難しい。
さて5の段階、4まではどちらかといえば戦いである。自らの攻めで相手を攻略する。
だが5の段階になると相手と和して勝ちを得ると言うところにまで行き着く。明鏡止水の境地とでも言うのだろうか。相手が写る。
熊とてまだまだこの境地には至っては居ないが、おぼろげながら分かってきた。
つまり相手の好むところに従って勝つ。其処には戦いは無く相手が負けに来てくれるだけ。
極端な話、対峙しているだけで、打たなければ負けない。打とうとすれば必ず力みが出るので、其処に隙ができる。本人が打たれに来るわけだ。
こちらは争う気が無い、だから、打つほうとしてみれば多分相手が弱いと感じるでしょう、だから不用意に打って出て来るのかもしれない。
所が出たら最後打たれてしまう。キジも鳴かずば撃たれまい。
との格言の如く、何もしなければ打たれないものを、何か仕掛けたために打たれる原因を作る。
ここまで来ると、もう攻めは要らない、相手と和するだけで良い。
こちらは和を持って対するが相手は戦おうとする。その我欲の差が、命取りになる。
この辺は大範士にお願いすればご理解がいただけると思う。
10月 09 2008 | 剣道考察日記 | No Comments »
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