Archive for 3月, 2008

萩生徂徠八訓、江戸中期の儒者

土曜日, 3月 29th, 2008

人の指導に関して、1991年に羽賀範士から頂いた手紙の中にありました。

1 人の長所を初めより知らんと求むべからず。
   人を用いて初めて長所の現をるるものなり。

2 人は、その長所のみを取らば即ち可なり。
   短所を知るを要せず。

3 己が好みに合う者のみを用うる勿れ。

4 小過を咎むる要なし。ただ事を大切になさば可なり。

5 用うるは、その事を十分に委ぬべし。

6 上に在る者は、下のものと才知を争うべからず。

7 人材は必ず一癖在るものなり。

8 かくして、良く用うれば事に適し、時に応ずるほどの人物は必ずこれあり。

是は熊が、新たな商売を始めようと、計画をしていたときに羽賀範士から頂いたメッセージでした。
ですが、いま是を読み返した時に感じるのは、生徒を指導するという事、従業員を指導する上で真にこのように在らねば成らぬと肝に銘じて取り組んで居ります。

3月 29 2008 | 剣道考察日記 | No Comments »

「心の飾り」

水曜日, 3月 26th, 2008

この話には、異論のある方が有るかも知れないが、熊が沢山の範士の方々から聴いた話の中で、多分そう言う事だろうと感じていることを記します。

剣道で、よく無心と言う言葉を使います。まずこの無心の状態を作ると言うのはどんな事なのでしょうか。熊が考えますに、まず自分の心が清廉潔白な状態に置くことが、心を一番無心に近い状態に、しやすいのではないかと考えるわけです。

最近、剣道具屋さんが色々な道具を提供してくれいて、それは見た目に楽しい部分もあるのですが、ものすごく派手なものや、時には下品とすら感ずるものさえ見かけることがあります。

勿論お道具をつけられる方々の好みで選択されて良い事は、当たり前ですが、有名な範士や八段の方々に黒い御胴が多いのは何故でしょう。

私の友人が、八段受験を可也の回数受けていて、気づいたことがあるそうです。
合格された方の殆どが黒胴だったと言っていたのです。

別に段位審査は御胴の色で決まるわけでは有りません。これは勿論のことです。
ですがでは何故、黒胴が多いと彼は感じたのでしょうか。単なるそれは偶然だったのでしょうか。

熊はそれは偶然ではないと考えているのです。まず考えたいのは、派手な胴をつける心理です。誰かからカッコ良く思われたい。自分自身目立ちたい、そんな心が裏に潜んでいるような気がするのです。

若しそんな心が心のそこに潜んでいたとしたら、無心と言う状を作り上げる自分の心の妨げになる。清廉潔白な心から掛け離れていることには成りはしないか、という事なのです。

これは、熊自身が体験したことで今も鮮明に脳裏に焼きついているある衝撃的な光景を思い出すからなんです。

熊が尊敬する、某先生が、「今まで俺は京都大会に一度も負けたことが無い」と仰っていたのです。事実その方は全日本選手権も、東西対抗勝抜き戦でも優勝をしたくらいの先生です。実力は並外れた方でした。

その方が、ある年の京都大会で、アレ?と思われるようなお派手なお道具を身に纏、出場されたのです。なんと結果は、10秒足らずで、2本打ちで終わってしまったのです。

見事、何もしない内に負けてしまわれたのです。熊に取りものすごくショックでした。絶対勝って頂けると、心ひそかに応援していたものですから、愕然といたしました。

そのとき、その方が信奉している大先生、当時九段の方が、「心に飾りがあって勝てるわけが無い」と冷ややかに申されたのを今のように思い出されるからです。

それとこれはずいぶん後に成ってからですが、熊が七段合格した後、道具が必要になり、作ろうとしたときに、羽賀の親父が、「黒が一番おしゃれだよ」と何気無く言われたのです。それから熊も自分の道具は殆ど黒にしています。

ただ若い頃に勢いに任せて作ったサメの研ぎ出しのお胴の道具があるのですが、時代が変わり道具のスタイルが変わってきたために。今一度、作り変えて、見ようかな?と考えております。

自分の心が枯れて、欲っけや、飾りっけが無く成ったら、着けてみるのも良いかも知れ無いと考えています。

ご高齢の先生が、変わり胴をつけて居られるのは何か微笑ましい光景ですが、我々修行段階の若者?は出来る限り、余分な心の飾りは避けたほうが良い様な気がします。

3月 26 2008 | 熊のつぶやき | No Comments »

「独善的、稽古の意味」 

金曜日, 3月 21st, 2008

稽古=古を鑑みる。先人、賢哲の辿った道を考えて、自分に生かす。「温故知新」の意味もあると、昔、榊原正範士からお聞きした事がある。当に其の通りの意味なのだと思う。

だが、熊は頭が悪いから、もっと簡略に、端的に考えてみた。

つまり、自分になぞらえて、「自分の古い出来事から考える。そしてそれから学ぶ。」と置き換えてみた。

そしたらそこからはなんと簡単に「反省、工夫」と言う文字が出てきた。

宮本武蔵の言葉に「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負け無し」と言うのがある。と言うことは、自分の稽古に当てはめれば、「打たれるには打たれる理由がある」
と言うことに成ると思う。

それなら何故、打たれたかを考えれば、自分が打たれた原因が見えてくる。其の原因を探し出すことが出来なければ、永久に自分の欠点が解らないのと同じではないか。

今まで、沢山の剣友と剣を交え、教えを受けてきた。つまり沢山打たれてきた。と言うことは、何故打たれたかを研究すれば、自分の欠点、至らぬ所、未熟を発見できるのではないのだろうか。

これが、まず修行の第一歩、修行の原則なのだと今は考えている。

自らの不足を知り、それを矯正していく。これが修行の第一歩。それを何処まで続けていくことが出来るか、途中までか、死ぬまでか、それが修行の原点だと確信している。

これは、稽古を頂いた先生に自分の稽古のアドバイスを聞くよりもっと効果が上がる気がする。

なぜなら、稽古を頂いた先生から、どんなに素晴らしい、アドバイスが頂けたとしても、本人がそれを仮に自覚できていなければ、何ら効果が無いからである。

熊の先輩に、真面目の権化のような人がいた。だが其の方は非常に進歩が遅かった。
稽古は良くされたが、上達が遅い。なかなか癖が直らない。
自分では不器用を売り物しておられたが、熊はそれは可笑しいのではと思うに至った。

羽賀の親父が「不器用な人は、頭の使い方が悪いのだ」と喝破されたことがある。
つまり、「頑固、頑迷」謙虚に反省、工夫出来ない人が不器用な人という事ではないのかと思う。

自分を省みる能力、それを磨く努力こそ、稽古の意味だと今は思っている。

3月 21 2008 | 熊のつぶやき | No Comments »

森島範士お教え3「機会」

火曜日, 3月 18th, 2008

機会、
どんなに体力があり、技が上手く、スピードがあっても、機会を捉えることが出来なければ勝てない。
実を持って虚を打つのが鉄則。

「虚」=隙の無い所は打たない。隙があったら逃さず打つ。
隙が無ければ、崩して隙を作って打つ。

以上要点のみで分かり難いと思いますが、工夫してください。

百錬自得。稽古、稽古。稽古在るのみ。

と暖かい励ましのお手紙を頂きました。

3月 18 2008 | 剣道考察日記 | No Comments »

「未来予想図」 

水曜日, 3月 12th, 2008

今日、カナダで放映されるNHKの番組で、「あの人に会いたい」の中で、ロケット博士、糸川先生の物語が出ていた。その彼の話の中で、彼は未来にわたり予想をしている発言があり、それが何と今現実になっている。

それと、熊が一番感じたことの中で、彼は言う、人間は目的を見つけたら、目的まで、直線を引き、その直線を、同じ幅の階段を作り、その階段を同じステップで一段一段登っていく事しかないのだと言うことを力説していた。

今の教育はそのステップの歩幅が極端に異型を成しているので、子供が付いてこれないのだと指摘していた。まさに現代の教育制度の誤りをその時点で予言していた事になる気がした。

彼が言う。「努力家だとか、天才だとかは他人が言うことで、その階段を上がって来た事を、知らない人々が彼の事を天才だと言い、その階段を登ってきたことを知る人が、彼は努力家だと言う」と言う発言に、熊はなぜか妙に納得させられた。

良いか悪いか、剣道界では努力、勤勉しか上達の道は無いと説くが、誰もが、全日本6回優勝の宮崎選手は天才だと言う思いが在るに違いない。だが、彼は人一倍努力をしたことは誰もが認めているところだと思う。

では、努力をしているはずなのに結果が出ない人が居るのは何故なのだろうか、と考えると、見えてくるものが二つ在る。一つは信念。宮崎選手は、初優勝の時、彼の剣風をトヤカク言われたが、彼はその剣風を変える事無く、前人未到の全日本連覇を成し遂げた。

勿論、現在の彼の剣風は以前の物とは変わり、俗に言うオーソドックスな剣風に変容を遂げている。詰り、彼は今も、階段を一つ一つ登り続けて居ると言う事だろうと思う。
是が二つ目だ。

彼は連覇が掛かった選手権で思ったそうだ、「自分はこの剣道しか出来ない。だからこの剣道で行くしかない」詰り彼の信念だったのだろう。

しかし彼の試合は、年々変容を遂げてきた事は誰の目にも鮮やかで、見ていて心地よい物に変容してきた。

彼は努力と言う階段を一歩一歩登り続けてきた。だから、現在の彼の剣風は、初優勝した当時より、数段、無駄な動作も無くなり、落ち着いた剣風に成ってきている。

詰り彼も優れた者の一人、未来予想図を確り創り、そこまでの道のりの線引きを直線で引き、その直線に、同じ幅の階段を作り、一段一段上り続けて来たに違いない。

優れた者と、そうでない者。格差はつけたくないが、優れた人は、目標を確り立てて、そこに、直線を引き、底に同じ幅の階段を作り、一歩一歩登り続ける事が出来る人。

ソウでない人は、目的地を謝っているか、階段の架け方が、歪なのだと思う。

それが、剣道で教える所の、直心であり、不動心であり、打って反省、打たれて感謝、反省の謙虚さが求められる所以なのだと感じた。

そして最後に、優れた人は、未来が見える、だから予想が出来る。
剣道の稽古も試合も未来が見えた人が勝つ。八卦見の未来予想図とは異なるのである。

3月 12 2008 | 熊のつぶやき | No Comments »

森島範士の教え2「理合いを工夫する」

火曜日, 3月 11th, 2008

理合いとは、刀法上の理論。試合に勝つための合理的な方法。
と、書かれています。そしてそれには、

心法(心の持ち方)
刀法(技)
身法(構え体捌き)

この、三っがまとまった時に理合いと言う。とかかれています。

理合いの要素の中で、特に大事なことは、

1呼吸、A(心法と関係、呼吸が乱れると心が乱れること、必定。丹田呼吸、詰り腹式呼吸を日ごろから訓練する事。)

2間合い、および間、B(間合いは相手との距離。間とは相手と構えたときの全ての関係。この間を自分に有利にする。是を「乗る」と言います。乗られて技を出したら打たれに行くような物。)

技~間合いの攻防の理合い、(三殺法)~気合~技~心の働き、この全てが自分に有利の場合を自分の間と言う。

「気で攻めて、乗って、破って、崩して打つ」

と、書かれて居ます。深いですね。

3月 11 2008 | 剣道考察日記 | No Comments »

「チャレンジ」

月曜日, 3月 3rd, 2008

季節も三月に入ると、急に暖かさを感じる。昨日、時間を見つけて、大川の土手を歩いた。そこにはもう既に、クロッカスの花がかわいい紫色で、笑いかけてくれていた。

体重を落とすことが目的の、散歩なので早足で歩くのだが、15分程度で体中汗が噴出してきた。

しかしここで見る殆どの散歩する人の歩きは非常に遅い。のんびり風を楽しみながら歩く風情だ。

運動目的の人なら大体がランニングで通り過ぎていく。早足で歩くと言う人は殆ど見当たらない。体重を減らすのなら走れば良いのにと思われるかもしれないが、誰かが言っていた。走ることで膝を痛めるのだと聞いた。だから、早足で歩くことにしている。

気温の上昇とともに、稽古でも稽古着が重くぬれるように成って来た。
今まで寒中は、稽古着すら濡れない日があった。汗をかく事で、無駄な脂肪分が燃焼されて、体重が落ちることを期待している。

目標、7KG減、一月で達成できるか?昨日1/3日から食事制限も始めた。だが腹が減る。
生活習慣病、とは本当に上手く言った物だと思う。まだ病的なところは出ていないが、
今までやはり余分な食事を摂取していたと言う事だろう。

自分の意志の弱さを、こうしてここで書くことで、自己責任から逃れられないようにしている。苦笑。

3月 03 2008 | 熊のつぶやき | No Comments »

初太刀

月曜日, 3月 3rd, 2008

剣道では、良く「初太刀を大切にしろ」とか「初太刀を譲るな」と言う教えを受ける。
そもそも「初太刀」とは何か。

私が考える初太刀は、相手と刀を抜き合わせて自発的であろうが、後発的であろうが、、初めて動く動作、切り込む動作が、「初太刀」だと考えている。

初太刀、と言っても人それぞれ捉え方が違う。最近では「初一本」等とも言う人が居るが、初一本は、現行の三本勝負の試合の中から生まれてきた言葉だろうと推察するが、その三本勝負では、初一本を取るまでにどれだけかの無駄打ちの末に、一本を取れる場合が殆どである。
その観点から見ると、初太刀と初一本は似ても似付かぬ物と言わざるを得ない事になる。初太刀は、それで、生死が分かれるのを初太刀と言うのだと、解釈している。

森島先生からの手紙の中で、「誰と遣っても、初太刀は必ず取れるように」と書いてあり、又、「初太刀を打たれると、落ちる」と書かれていた。「難しい事ですがそれを実践できる努力をしてください」と結ばれていた。
初太刀=生死の境。其処には三本勝負のようなゲーム性は無く、遊びも無い。だから、昨今の試合は=試し合いであり。仕(死)合うとは完全に次元が違う物だと考えたい。

今、普段の稽古で、若い剣士達と稽古をしているが、その稽古相手から、如何に初太刀を奪えるか、その工夫に明け暮れている。
それには、先ず気の充実しか方法は無い。体は勝手に動く。逆に色々考えて望むと、墓穴を掘ることに成る。

自己を信じ、「サーどうぞ」命を投げ出して、初めて、初太刀が物に出きるのだと感じている。
自分を高め、強くなる為の秘訣が、此処に在るのだと考えている。様は、一太刀、一太刀が命がけだと感じながら稽古をすることが、一番大事なのだと思う。

3月 03 2008 | 剣道考察日記 | No Comments »