Archive for 8月, 2007

「若い道場破り&武者修行」

水曜日, 8月 22nd, 2007

8月に入りもはや20日も過ぎた。19日の日曜日、日本から、若武者が道場破り?が養心館を名指しで、稽古に訪れた。

彼は、国際武道大学に籍を置く20歳の学生で、自分の専攻科目の、スポーツ医療分野の見聞を広める目的で、モントリオール、マギール大学で稽古をして、カ ナダの強い道場を、聞き、探しながら、トロントのエトビコ道場で、世界ベスト8のカマタ、選手と剣を交え、そして、バンクバーでは何が何でも養心館と心に 決めて、来たらしい。

彼の今回の渡航は、日本のJTBが若い人向けに組んだ一人旅行プランを利用しての事で、バンクーバーのJTBで養心館に行きたいと、告げた。偶然其処には養心館のメンバーが在籍していたので、道場に連れてきた、という事らしい。

居り良く、日本に武者修行に出してあった、ユウノスケも帰国第一回目の稽古に参加していた。彼の名は、ヤナギダ君、目がパッチリ、麻黒で、天然パーマが掛かっている為に、東南アジアの人と間違える風貌の青年だったが、挨拶、対応はきちっとしていて、好感が持てた。

黒熊が掃除始めると。彼は自分から進んでモップを持ち、掃除に参加した。
館員のメンバーがもたもたと道具をつけていたので。稽古前に黒熊から生徒に檄が飛んだ。「お客様に掃除をさせるとは何事か、自分達の道場の掃除は自分達で遣るものだ」
これをみただけでもこの青年は確りした気持で稽古に取り組んでいる事が分かる。

稽古前に少し話したが、此処は羽賀忠利範士が館長を勤める道場と聞き、驚いていた。
基本打ち込みに入り、彼の打ち込みをつぶさに検証させていただいたが、日本で稽古してきているので、スピードは速いが、いかんせん、頭から出ている。

タダ姿勢は崩れる事無く、堅持しているので、良いと思った。稽古に入って彼は黒熊に一番に掛かって、翻弄されたようで有るが、先先と打ちかかり、気迫の在る稽古をしていた。

次に熊の所に来たので、熊も彼の出鼻を面を中心に打って見せた。彼は自分のスピードが熊より勝っている事に自信は在るのだがことごとく面を割られるので、不思議がっていた。

そこで参加人数が少なかったこともあり、黒熊と熊が稽古をした後、黒熊がアキラを捕まえて、面打ちの特訓。それもわざと彼に見せる位置で遣り始めた。
この特訓は一部始終を熊が横で見ていて、ダメだしをする。少しでも体の動きに無理が在るとそれを指摘して、徹底的に無理と無駄を無くす態勢で打ち込みを遣らせるのだ。

彼はそれを観ながら一生懸命に、腰から出る、体の移動を研究し始めていた。
何かを感じ取ったらしい。そこで稽古後、マダ何か質問をしたいようであったので、早く着替えて家に来るように誘った。

彼とJTBに働くメンバーが熊家に来る事に成ったので、帰路店により、最高級の神戸牛を持ち帰り、彼にステーキをご馳走してあげた。若いとは健康だね。 1kgのステーキをぺろりと平らげて行った。出した者は全て綺麗に食べてくれたので、好き嫌いも無く、もてなしたほうも、気持が良い。

剣道の話は、主に黒熊が指導していた。最後に黒熊が彼に言った。出来るだけ、範士の先生方とお稽古を頂き、それを良く観て、何が本物の剣道か、それを早く理解して、精進する事が大事ですよと。彼も至極納得していた。

現代では本当に珍しい青年だった。稽古中一度も三所避けをすることも無く試合駆け引きをするでもなく、タダひたすらに、先、先と面を打ってきた。熊も彼に 言った。将来カナダに来ないか。「仕事なら私がが保障してあげるから」と、それ位、好感が持てた青年であった。マダ日本の中にもこんな青年が居ることが嬉 しい、発見でもあった。

8月 22 2007 | 熊のつぶやき | No Comments »

打たれに来る

月曜日, 8月 13th, 2007

今から15年位前になるか、羽賀の親父がマダ元気で稽古をつけてくれていた頃、熊が掛かっていくと、いとも簡単に出鼻を打って取られてしまう。
何故なのだろうと愚問を聞いてみた。何故あんなに、簡単に出鼻が取れるのか、親父が言うには、「お前が打たれに出てくるかただ。」と言われて、悔しい思いをした思い出が在る。

その意味合いが、15年経った今、少しずつでは有るが、何となく分かりかけてきた気がする。
それはどう言うことかと言うと、人間,誰でも打ち気にはやる時は、瞬間的に目クラに成る。詰り打とうとする瞬間に筋肉が硬くなるのだ。
其処を狙えば以外と簡単に打てる事が理解できるようになって来た。勿論、剣道をする人それぞれに到達しているレベルがあり、格差は当然あるのだが、

それでも間違いなく、どんなレベルの人であろうとも打とうと心が動いた時は硬くなるのである。
ただ、その腕前により格差が在るということは、硬くなる瞬間が少ない人が上手な人であり、沢山出る人が初心者なのだと言う事なのだと思う。

大 いなる気勢で打ちかかる。その中にも、懸待一致が求められて、その中で、溜め、見切りなどが要求されてくるわけだから、可也高度な判断を瞬時繰り返さなけ れば成らない。その上、肉体の筋肉コントロールまで、遣らなければならない訳であるから、筋肉を硬直させないで相手に対処できる位に成るのは不可能に近い わけだ。

だから昔から、どんな名人でも打つ瞬間は隙が出来ると言われる所以なのだと思う。

剣道の稽古は肉体的に、いついかなる時でも難さが出なくなれば技術的に完成だと言う事になるのだと思う。勿論、その為に、心の問題、にも、触れて修行しなければ理解は出来ない
でなければ、不動心、平常心、などと言う言葉の必要性も無くなる。

打たれに来て(行って)いる間は、剣道修行が続く。それを完全に克服する為に人間は剣道を通しての修行をしているのだと思う

8月 13 2007 | 剣道考察日記 | No Comments »

「三磨の位」

土曜日, 8月 11th, 2007

三磨の位は柳生新陰流の極意だそうだ。三つの大事な要素、習う、工夫する、鍛錬する
これを繰り返し繰り返し遣る事により、らせん状に上に上達して行くのだと聞いた。

逆に言えば、どれが欠けても、上達はおぼつかないと言うことに成る。
又、習うも、良師に付かなければ、とんでもない事になる。
工夫も、天然自然の宇宙真理、合理性に基づいた工夫でなければ意味を成さない。
鍛錬も、無理ムダがある鍛錬では効果が少ないばかりか、肉体的に故障を引き出す事になりかねない。

こう考えてみると、単に、三磨の位と簡単に言うが、其処には其処で、正しい事が求められる事になる。これだけ情報が飛び乱れ、何が正しくてなのが正しくないかの判断が難しい世の中では、やはり素直な心で、直心で事に当たるほか無いようである。

下手に我欲があり、欲に目がくらみ物事の判断を下すと、必ずその見返りに反動が来る。正しい情報の元に、正しい判断が出来て、正しい行動が取れれば先ず問題は起きない。

この三磨の位、人間全ての生き方にも通用する。正しい情報に学び、正しい判断が出きる、工夫をして、正しい鍛錬、行動をする。剣道で学ぶ物は、全て世の中のことに通じていると、最近特に強く感じている。

8月 11 2007 | 熊のつぶやき | No Comments »

「楽しんでいる、か?」 

日曜日, 8月 5th, 2007

今日、東京に武者修行に出している、若者の親からメールがあった。
武者修行も残す所、後一週間、最後の追い込みを掛けて元気で稽古の参加していると連絡が有った。

そこは、全国の警察剣道の剣道の総帥、化け物集団の若者の中に混じり、基本基本で明け暮れているらしい。

其処の、教師をしている若手指導者から、所属団体名○○○の名前入りの稽古着が3着も彼に、寄贈されたらしい。日本人でも嫌がる、暑い時期の激しい稽古を喜々として喜んでやるお前は変わり者だと言われたらしい。その変わり者に対する御褒美が稽古着だった。

おまけに全国から選りすぐりの若い剣士たちが、物凄い競争率の中から選択されて、その部署での稽古を許される。その中にあって、彼の面打ちは、将来の剣道専門家集団の若者達の前で、お手本、サンプルとして模範打ち込みを遣らされた、と聞く。

今、日本剣道は、高校、大学とも試合中心の当てっこに成っている。指導者から、彼のように確り両手を上げて、打ち込めと激が飛んだのだとか。冴えが違う、音が違う、それを盗めと、日本の一流高校卒のエリートや、大学卒のエリートが言われたらしい。

親からは涙を流さんばかりの感激の感謝の気持ちが述べられていた。
日本の剣道の総帥の場で、わが子の面打ちが本物で、エリート集団の物が違うと指摘されたのだから、親としては、どんなに嬉しかった事であろうか。

熊がカナダで指導している基本。それを僅か3年間学んだ子供が、日本の剣道漬けに暮らしてきた、高、大卒の一流エリート達よりも出来ていた。それを聞けば 誰でも驚くに違いない。勿論マダ、マダの18歳では有るが、どれだけ無駄なコースを歩まないで育てる事が大事か、解るという物だ。

体も一回り、がっちりしてきたらしい、恐らく逞しく成っているに違いない、無事帰国して、元気溌剌とした、彼を見るのが待ち遠しい思いである。

8月 05 2007 | 熊のつぶやき | No Comments »

足の立ち幅

土曜日, 8月 4th, 2007

以前、MIX@交剣知愛の養心館、分室で、足構えの幅について書いた事が在る。
通常、少年指導要綱の中では両足の幅は拳一握りとされているのだが、熊が、カナダのSKI指導員試験を受けた時に、日本ではスキーを揃えて滑る癖が着いていたのを、矯正された事が切欠で、足の外側の立ち幅は、腰の幅ではないかと言う考えになり、それを実践してきた。

その方が腰が安定するし、前進打突の動作の足の力が無駄に成らない感じが掴めたからだ。
そうしたら、昨日、手元に届いた、剣道日本の中で、佐藤博信範士が、自然体の構えの説明の中で、やはり熊と同じ事を唱えられていた。四角く構える。腰と足の外幅は同じにすると書かれていた。

偶然の事なのだが、やはり佐藤範士も長年の経験と、稽古の積み重ねでそのような結論に達せられた物と思う。
足幅を、一握りにすれば、上半身がヤジロベイのようになり、横の捌きをするには不向きに成る。
それに安定性を欠くことにも成る。そこで足の外幅を腰の幅に構えれば腰の体重、いや全身の体重が全て均等に両足で分担して支える事になり、出る、引く、横に裁くが用意に成ると言うことに繋がるのだと思う。

詰り正しい足裁きを絵を会得する為には非常に大事な事なのだと改めて確認できた事が嬉しい。
小さい事だと思うかもしれないが、工夫をして自分で会得した事が、大範士の考え方と同じになる。
こんな時、初めて自分の考え方、指導法が間違っていなかった、という確認が取れることが、大いなる自信にも繋がっていくのだと思う。


剣道はやはり工夫工夫の繰り返し、そしてその確認が、必ずやどこかで取れることが嬉しい。

8月 04 2007 | 剣道考察日記 | No Comments »