Archive for 5月, 2007

「一生掛かる物」

木曜日, 5月 31st, 2007

剣道がある程度強くなり、実力が着いて来るに従い、誰もがぶつかる大きな壁がある。
剣道で言えば大体六段から~七段がその勉強に悩まされる事だと思う。

七段で其処の所がある程度クリアーできれば八が見えてくるのでは無かろうか。
それは何か?脱力である。何時如何なる場合でも、どんな時でも体の筋肉に膠着を出さないで、自然に動けて、技が出せる。そんな状態を維持できるか如何かが鍵だ。

勿論、剣道の要素は間、距離、時間、気力、集中力等、精神的なものから肉体的な物まで幅が広いのだが、その精神的なコントロールと、肉体のコントロール、脱力とは無関係ではない。

つまり、俗に言う、打突時に起きる、力むと言う厄介な自分だ。何故力みが出るのか、
この力み、それすら自分に出ているか、出ていないか気付かないで居る人が多い。
しかし、この力みが自分に出ているかどうかの判断が出来なければ上達は望めない。

熊自身もこの力みには本当に苦労させられた。若い頃に、ダンベルや、エキスパンダー等で筋肉を鍛え、俗に言う筋骨隆々、的体を作り上げていた。

処が、ややもするとこの筋骨隆々は馬鹿力は出るかもしれないが、筋肉その物を硬くしている事が多い。その為に玄妙なる技前、冴えた打ち、体の切れが具現で きない。自分の筋肉が自分の意志の邪魔をする。厄介な事だ。自分で自分の邪魔をする、こんな矛盾は何処にも無い。だから剣道は難しいのだ。

それで、その硬さを取るのに今も非常に苦労をしている。やっと最近である、硬さが取れてきたと自覚が出来る様になったのは、剣暦50年にして初めて感じた、脱力の世界。

範士の先生方とお稽古頂いて、先ず違うのはこの脱力だ、皆さん非常に柔らかい剣捌きを成される筈だ。体、足、肩の力、腕の力の最小限の力だけで、最大限の打ちを表現成されている。

剣道に於ける修行は、心の持ち方で、からだの筋肉も自由を得て、自在に使う事が出来る様になる。何故硬くなるのか、そのことを探求しなければ自己の剣道の将来は無い。

5月 31 2007 | 熊のつぶやき | No Comments »

50年掛かる基本

日曜日, 5月 27th, 2007



持田範士が10段が、基本を身に付けるのに50年掛かったと書いておられます。
その50年掛かった基本のマスターとは一体何なのか、ずーと疑問に思っていました。

それで自分の剣道を振り返り、50年かけてマスターしたものは何か、自分の剣道で照らし合わせてみた所、有る一つの結論が見えてきたような気がします。
勿論これはあくまで自分だけがそう感じているだけで、違うのかもしれませんが、多分外れてはいないのではと考えています。

範士は、基本は中学生の時に身につけたと思い、そのまましまい込んでしまっている。とも書かれています。
我々は普通、有る程度の基本動作をマスターしたら、地稽古や、試合稽古を積みます。それで修行の進歩を重ねていくわけですが、

基本打ちの中で基本動作とは一体何を教えているのでしょうか、例えば面打ち、で考えますと、一番難しいのが一拍子の打ちです。
構えた0の状態から、機会が来たら色も起こりも何も無くパッと100の力になる。
それが一拍子の打ち。どんな機会にでもピシッとパッと打てる。そんな打ち方をマスターするのに50年掛かったのだといわれているような気がしているのです。

自分でもやっと最近一拍子で打てるようになりました。
マダマダ完成ではありませんが、大体の機会には打てるようになってきました。特に相手の起こりに打てるようになり始めたのです。

その事と照らし合わせてみるとやはりこの一拍子の打ち方をマスターするのには50年くらいは掛かるのかなと思いました。
0から100になる一拍子の打ち、出来る様になると、中々に面白いものです。

5月 27 2007 | 剣道考察日記 | No Comments »

「四種の面」

日曜日, 5月 20th, 2007

今回、日本で稽古をして見る中で、幾らか下手の方々との稽古で試していた面打ちがあります。4種類の面打ちです。

簡単に言えば、
1真っ向から中心を割って先で打つ面。
2攻めてでた時に、相手が飛び出す気配に合わせる、出鼻を打つ面。
3相手を攻めて相手がいち早く打ちに出てきたときに打つ面返し面。
4相手を攻めて、同時に相手も打ちにでて来た場合の打ち落とし面。

A左手を納めて、丹田に気を溜めて、触刃から交刃まで、剣先を少し下げ気味に右足を床に摺らせて相手の様子を見ながら攻めて入ります。

そして、その時に相手の発動する動きにより、打突機会が異なるので、此方の使い分けが変わるだけなのです。万一機会を掴むのが遅れた場合は応じ胴で仕留めるだけです。

ただ、その、使い分けを決めるのは、あくまで瞬間的な判断ですので、本能に任せているといった方が正解なのですが、一応自分の意識の中では完全に分かれています。

全ての面打ち最初は、Aの攻めで行きます。この実践効果については書くと膨大な量に成るので、質問があればお答えします。

1はAの動作で攻めを仕掛けて、相手がひるんだ時、自分の右足を相手の股間の方向にに滑り込ませる感覚で、踏み込むように、打つ瞬間までギリギリに剣先を相手の鳩尾辺りに付けて割って入り、左足で飛んで面を打ちます。

2はAの動作で攻めを仕掛けて、相手の打ち気が見たときにそのまま打ちます。

3はAの動作で攻めを仕掛けて、相手が先に面を打ってきた場合。出きるだけ竹刀の手元を上げないで、一度竹刀の鎬で、すり上げておいて、打ち落とします。

4は相手がほぼ同時に飛んできた場合、相打ちになるような場合は、右足踵を少し外側に開く心もちで、小さいすりあげ面的に鎬で相手の打つ面を摺り落とす感覚で、打ち落として行きます。

1と2の上半身腕の使い方は全く同じです。
3と4も、ほぼ感覚的に近い腕の動きです。ただ刷り上げの場合は竹刀を振り上げていく過程で刷り上げますので最小限の力で済みます。4の方が業的には同じです。ですが、業も小さく難度が高いのですが、決まれば綺麗に打てます。

殆ど業はこれだけで、小手は出籠手程度にご愛嬌程度にしか打ちませんでした。
それでも結構使えるものです。

結局四種の面、応じ胴の5つの業だけで、今回の修行が終わりました。

5月 20 2007 | 熊のつぶやき | No Comments »

「帰国後初めてのつぶやき」

土曜日, 5月 19th, 2007

今回の訪日で、沢山の方々とお稽古を頂いた。その沢山の中で、熊が、「この方は将来必ず伸びる」と感じたのは、数人しか居ない。

それは何故か、剣道のセオリーと言おうか、常道、定石と言うものからかけ離れたお稽古をしている方々が非常に多いと感じたからだ。

例えば、
打たれる瞬間に、首を曲げ、姿勢を崩して避けてくる人。
(これでは当てっこゲームで、剣理等とは程遠い稽古だから、無駄稽古だね)

打たれた後に、故意に打ちを出す人。または相手の竹刀を押さえつける人。
(打たれた事が解らないのか、認めたくないのか、自分の反省点が解らないから駄目)

ただ何でもかんでも打ちたいだけの人、フェイント技が多い人
(ただ打ちたい人は攻めが無い、間合いも滅茶苦茶、だましても打ちたい心根が駄目)

触刃、交刃、の間合いの大切さが理解できていない人。
(剣道に於ける一番大切な要素、相手とのやり取りの緊張感が掴めてないから駄目)

左手の収まりが無くて、攻められて、簡単に驚く人、慌てて打ち出す人。
(心の安定を欠いている胆力が出来ていないので駄目)

攻められて、後ろに二歩以上下がる人。間合いを切り、相手を呼込むのとは違う。
(戦う意志が薄弱で、弱腰だから、駆け引き重視では強く成れないので駄目)

構が簡単に崩れる人、
(防御、攻めが上手く繋がらないから駄目)

近間でごちゃごちゃした稽古をする人、
(捨て身の思い切りの良い業が習得出来ないので駄目)

自分で自分の息を上げるくらいに激しい稽古が出来ない人。
(厳しさが身につかないし息が長く続かないので駄目)

基本から外れた打ち方をしている人。
(刃筋が立たない稽古だから、駄目)

足を使わないで手打ちに成る人。
(気剣体の一致が学べないから駄目)

力で竹刀を振る人。
(手の内の冴えや技の妙味が身に着かないので駄目)

こうして問題点を挙げていくと、剣道は自分で直せるか、気が付くかで、殆どが決まる気がする。そんなに難しい事を遣っている訳ではない、だめなことを遣らなければ良いだけではないのだろうか。

無駄な事、駄目な事を続けているので進歩が遅れるだけなのでは無いのだろうか。

5月 19 2007 | 熊のつぶやき | No Comments »

武者修行回想

木曜日, 5月 17th, 2007

昨日、カナダに帰国、あわただしい一日が過ぎた、だが、時差ぼけ予防のために稽古には出た。
そして感じた事、日本の稽古では、皆さん一応に間合いが近いと感じた事だ。昔からの教えがある、触刃と交刃、この間合いを意識してお稽古している方が非常に少ないと感じた。

特に今回、昨年の課題として、野正範士に間を詰められてどうする事も出来なかった反省があり、絶対に攻め負けず、機会が来たら捨てて打てるか課題にしていた。
それで、今回、野正範士には1mmも下がることなく、先生が間を詰められようとした瞬間、完全に捨てて打てた。つまり触刃から交刃になる瞬間に捨てて出れた。
二本目も同じ面が出た、二本とも先生の剣先は、熊の喉元を掠めて外れた、三本目も同じ機会に面に飛んだ。
範士は思わず胴に返されたがそれは遅れてタレに当った。それで先生は「ウン」と頷かれて、剣を納められた。

賀来範士にも毎回間合いで翻弄されてしまうので、気攻めと、触刃、交刃で捨てる事を意識して望んだ。今年は翻弄される事無く、熊のペースで稽古が出来た。
お二方とも生まれて初めてのことだ。昨年1年、左手と腹を意識して攻めて捨てるを意識した一年であったが、間違いは無かったようである。
両範士共、毎年のご意見ご指導が無かった。タダ、満足げな面の中のお顔が印象的だった。稽古の後、感謝の気持で深々と頭を下げた。

そこで、今年は又新たな、問題を発見したくて、10年ぶりに山口のF範士にお願いをした。八段大会3度優勝のつわものである。
同じ手法で、面に飛んだ。間違いなく、1本目と2本目は面に届いた。だが、三本目が面に炸裂したかと思った瞬間、返し業の応酬に合い、短い打ち合いの中、手元を浮かされて胴に切られてしまった。
捨てきった後の残心の問題があるようだ。捨てた打突の後は、打たれても構わないと言うのは初心者の間の事だ。八になればその所の充実も欠けてはならないと思う。

さすが、F範士、只者ではない。当たり前だが、でもF範士は非常に喜んでくれて、以前のお稽古も覚えておられて、「10年ぶりだね、腕を上げたな」とニヤリと笑われた。
来年の課題、充実した攻めから、捨てた後もいかに残心を完全に残せるか。又新たな楽しみが出来た。
F範士、来年もよろしくお願いいたします。礼を述べて、先生も嬉しそうに、うんと頷かれて、再会、熊の再挑戦を快く受けて下された。ありがたい。ありがたい。

やはり一年に一度は、京都に出かけて、自分の未熟を発見せねば、進歩などありえない。
先生方、いつまでも元気で、ご指導を心より、お願いして、感謝の辞を述べさせていただいた。

5月 17 2007 | 剣道考察日記 | No Comments »