Archive for 2月, 2007
月曜日, 2月 26th, 2007
剣道を真剣に考えながら、稽古を続けていると、有る時、「フッ」とこれかな?
と感ずる事がある。昔、大阪府警の稽古の出て、足捌きの稽古に時間を割いていたことが思い出される。
そのやり方と言うのは、面を打った後、後ろに通る抜ける時に、歩幅の小さな送り足で、回転を早くして、スピードを殺さないやり方だった。
その利点は、
1 打突後の姿勢が崩れない。
2 歩幅が小さい分だけ、相手に対する対処が早く出きる。
3 連続打ちの気剣体の一致が作りやすい。何本でも打ち続けることがえきる。
4、身体のUP&DUNが無く、床と腰が水平に移動維持できる。
5 それとこの稽古をしていて、後で気づいた副産物。これが大きい。
(間を送り足や、継ぎ足で、詰めて打つ場合、左足の引付から、右足を出すまでの時間が素早くなり、相手に起こりを捕らえさせる事無く打てる)
つまり、遠い間から素早く間に入り楽に打てるように成った事だ。
この足捌きを、昔30代後半で滅茶苦茶に稽古をした事が有った。ある仲間の白人が疲労で病気になったくらい遣った。その時に、その稽古中、何だか分からないが、急に目の前が金色に輝きだして、身体が、グワ~~と宙に浮いて軽くなった様な気がした事がある。
こんな不思議な状況を体験した。それから、足捌きが非常に楽に成りだした。
其れまでは、如何かすると、相手に合わせて打つ場合、手と足がちぐはぐで、気剣体がばらばらに崩れたうちが出る事が多々あった。
特に相手に起こされたり、引き出されるような状況に成った時は尚更ひどかった。
その経験をした後からは、殆ど手と足がばらつく事が無くなった。
どんな稽古でもそうなのかも知れないが、ある程度の所を超えたら、無意識に動けるようになるのだとそのときから、おぼろげに分かってきた。
今は有り難い事に、殆ど一々考えては動かない、如何しよう、こうしようも、余り考えない。状況に応じ、身体と心が勝手に決めてくれる。
それ以後も、大なり小なりで、何度か、フッと感ずる事がある。稽古は考えながら、工夫を続けながら、身体を極限まで掛ける事の内につかむ事が非常な力に成る。
そんな体験、経験を積んでこれた剣道は、他の事にも活きて、自分の人生の大きな宝物となった。
2月 26 2007 | 熊のつぶやき | No Comments »
月曜日, 2月 26th, 2007
修行法九箇条 = 現代風に改めれば
よこしまなき事を思うところ = 邪心を抱くな、直心であたれ
道の鍛錬するところ = 一生懸命稽古をしろ
諸芸に触るところ = 他の武芸の理合いも知れ
諸職の道を知る事 = 他人の遣り方を研究しろ
物事の損得を弁える事 = 物事の損得を考えろ
諸事の目利きを仕覚える事 = 冷静で的確な判断を出来るようになる事
目に見えぬ所をさとって知る事 = 観働きを鋭くして予知能力を高める事
わずか成る事にも気をつけるこ事 = 小さな変化も見逃さず、気をつけること
役に立たぬ事をせざる事 = いらぬ事は、言うなするな
2月 26 2007 | 剣道考察日記 | No Comments »
土曜日, 2月 24th, 2007
昨日、剣道愛好家が集まるMIX@なるサイトで、刀、試し切りに付いて書いた。
皆さん剣道をやる以上、結構切る事には興味がおありのようで、お返事も多かった。
熊が、剣道、イヤ居合道を始めたのが23歳の事だった。その居合いの稽古をしている道場にたまに稽古の来られる高校時代からの憧れの先生がいた。生涯の師、村雲清信先生だった。
お話を伺うことも無く、時間が過ぎ、先生の道場が新設され、先生はお稽古に見えられなくなった。その当時熊は県下で君臨する大範士の元で居合いを学んでいた。
ある日、全剣連第一位号の居合道範士九段が村雲先生の道場で講習会をやるという情報を得て、参加させていただいた。
その場に、例の大範士が、九段に挨拶に見えられて、仕事で参加は出来ませんが、ご挨拶だけと言う事で、途中で講習会を退席された。その翌日、大範士の稽古会で、熊は大範士に呼ばれて、「昨日はどんな事を教えられたか」と問われた。まるでスパイ。
熊は、大範士に正直に伝えた。「先生、居合いに理合いがある事を始めて知りました。何の為にその形が在るのか、どうして刀はこうして使わなければ成らないのか、初めて知り、目からうろこが落ちる思いでした」と告げた所、
大範士は、「そんな、イラン(必要ない)事を聞かんでも、俺の言う事を聞いていたら、段はやるぞネ」と言われた。熊は何かが違うと感じた。自分が今学んでいる居合いは、何なのか、段は確かに欲しいが、果たしてその段は本物なのか?疑問が湧いた。
そこで、愚直な熊は、刀を納め、先生に挨拶をして、帰宅してしまった。当時その大範士を稽古後お宅までお送りしていた。その事を忘れていた。それくらい腹が立った。
俺は本物を学びたい。武道心とは其れが原点ではないのか。
そして次の稽古から、村雲先生の道場に顔を出した。だが指導を受けるでもなく、ただ、神伝流居合いを抜いていた。村雲先生は直伝流。先生は2ヶ月間何も言 われなかっつた。だが2ヶ月を過ぎる頃、熊にここで居合いを本当に学びたいなら、直伝に変え流しなさい、それと、君は高校時代剣道で鳴らしたのだから剣道 もやりなさい。
そこで熊は、先生に入門させて頂いて宜しいでしょうか、と聞いた。
恐らく先生も返事には困ると思った。何しろ、大範士の秘蔵子である熊を自分の道場に入れることは、相当な覚悟が居ると思ったからだ。
答えは「君がいい加減に取り組むようなら、声は掛けなかった。だがこの二ヶ月君は真剣に稽古をした。其れを見ていたから声を掛けた、大範士のことは心配要 らない、俺が面倒見る。心配するな。だだ、色々出て来るだろうが、稽古をやり抜け、実力をつける事だ。力が付けば誰もモンクが言えなくなる。」その言葉で 改めて入門をお願いした。
先生に迷惑を掛けては行けないと思い、真剣に稽古をした。毎日何処かで稽古もした。
五段を拝受まで、大範士だけは絶対に票は入れてくれなかった。必ず批判をされた。
だが、熊を滑らせると全員が落ちることに成る。熊の稽古熱心は、誰もが知っていた。
熊がカナダ行きを決めて3年で戻る約束を師匠とした矢先師匠は事故で死んだ。
そして、審査会場で、杖を突く大範士に誰もお世話をしない熊は跳んでいき、階段を下りるお手伝いをした。大範士はその熊の援助を受けなかった、と言うより武士として人に手は借りぬが心情だったのであろう。
だが、玄関でお送りするとの刹那、熊に言われた、カナダに行くな、村雲の後をつげ、お前が居なくなったら凌雲館はどうなる。心配されていた。
「大丈夫です、先輩方も沢山居られるし、お婿さんも決まりました。私が居る必要はありません。」
「そうか、だが、やはりお前を富山から出すのは反対だ、行かずともすむなら行くな」と涙を流された。別れを惜しんでくれた。憎まれていたとばかり思っていた。嫌われて当然だった。だが、厳しい言葉も、批判も熊の為にわざと言われていたのだと思った。
お金持ちで、個性が強く、皆に嫌われていた、誰も知らない大範士の心を見て、熊の過去の無礼を県営武道館の玄関でお見送りしながら大範士の後姿に詫びた。
2月 24 2007 | 熊のつぶやき | No Comments »
土曜日, 2月 24th, 2007
盗む、あまり良い言葉ではない。
普通、盗みを働けば、罪に成る。当然の事だ。
だが、剣道において盗む事は、良い事だ。
処が盗む事を知らない人が多い。
それは、指導者があまりにも親切に成りすぎて、教えすぎるからだ、と聞いたことが有る。
そうだろうか、教える方としては、生徒に少しでも早く上達して欲しいと願っているはづだ。
だが、習う方は、ああ、またか、またその話か、位にしか聞いていないのでは無いのだろうか。
だから進歩が遅いのではないだろうか、最近、剣道愛好家の意見交換の場で、審査に落ちて、悩んでいる人に出会った。
悩む事は、良い事だと思う。悩む心が有るから、何かを得ようとするのでは無いのだろうか。
熊が昔、三ヶ月に一度、榊原正先生にご指導を頂いた。先生は刑務指導教官で中部 管区の刑務所を指導に廻られていた。
その先生を駅まで送り迎えをしていた、 刑務官で熊の道場仲間が先生に言われたそうだ。
「熊は、良いにつけ、悪いに付け、毎回稽古が変わっている。それに付け、お前の稽古はいつ見ても変わらないな。」と叱られたと聞いた 。
送り迎えをしていた彼は、全国刑務官大会で三位に入賞した事の有る逸材だった。
熊の田舎のその当時の道場では彼は三羽カラスの一人だと歌われていた。
その彼等は職場に道場があり、その気に成れば毎日でも稽古が出来る環境にあった。
彼も、熊並みの稽古はしていたかもしれないが、昇段が遅れた。
五段は彼の方が熊より3年早くなった。六段では熊が追い越した。
彼は六段受験を十数度落ちた。七段審査もものすごい苦労をし て、最近やっと七段を通った。
何時も彼に会うと思う、榊原先生が言われていた、十年一日の如き稽古ではいけない。
毎日、日々是新たな稽古でなくては成らない 。
熊は思う、良いにつけ、悪いにつけ、盗もうと言う気があればこそ剣道が変わり、上達するのではないのだろうか。
剣道は人から盗めば盗むほど上達が早くなる。おまけに、ご褒美になっても絶対罪はならない。大いに盗もうではないか。
2月 24 2007 | 剣道考察日記 | No Comments »
金曜日, 2月 23rd, 2007
昨夜の稽古、一番乗りは、ユウノスケ、彼は本当に力を付けた。だがまだ子供、どこかに甘さが出る。これは仕方が無かろう稽古と経験と時間が解決してくれる。
嬉しい事に、本当に熊の稽古相手が務まるようになった。18才誕生日を迎えたばかりだが、下手な4段の力を超えている。
二番目に白熊がてぐすね引いて掛かってきた。熊は白熊とやるのが一番面白い。
力一杯やれるからだ。全身全霊を掛けて対峙する。面白いよ、打つ打たれるではない稽古が出きるから、崩せるか、崩されるか、どちらかが崩れた時は、片方が飛んで居る。
この時だけは、本当に無心に成れる、考えたり、作戦を練ったり、細工をしたり、そんな暇も心の余裕も全く無い、お互い真剣そのものだ。おまけの親子だから遠慮が無い。
強かな突きも出せるし、面でも思い切り捨てる事ができる。イヤ捨てなければ打てない。
自画自賛だと思わないで読んでいただきたい。白熊は本当に強い。日本から八段の先生方が来られても、皆さん稽古では必ず苦労される。日本に出向いた時でも稽古をお願いした八段の方々は必ず、息子さんは元気ですか、剣道をやっておられますか、と訪ねられる。
それだけ印象が残る。佐藤博信範士に言わせれば、とっくに親爺を超えているそうだ。「以前京都で、親爺の剣道は臭いが、息子は良いからね」と紹介されて、照れ隠しに、大笑いした事がある。
彼は構も良いし、気攻めも強く、何しろ崩れない。技はそんなに起用では無いが、それだけ、無駄な事をしてこないので、業を出す時は豪快に来る。先ず竹刀を横に振りフェイントをかけてくることが殆ど無い。真っ向から割って入ってくる。
その彼と、丁々発止とやる。かといって手数は多くない。1本、1本が崩すか崩されるかで稽古をしているので、お互い気攻めが中心に成り、無駄打ちが出来ないからだ。
下手に手を出せば必ず墓穴を掘る事に成る。だから真剣に成らざるを得ない。
彼との稽古の後は汗ビッショリ掻いて体が非常に楽になる、気のテンションが上がっているだけに、他の生徒が少々気合を入れてきても、此方はビクともしない。やはり稽古は強い相手、強い相手とやららなければ効果が薄い。
若し、稽古仲間に強い人が居なかったら、子供と一緒に掛かり稽古をやれば良い。
白熊、黒熊が子供の頃、熊も一緒に打ち込み、掛かり稽古をやってきた。
だから、自分の身体を掛けて、習得した動きはそう簡単には消えていかない。
年齢さ27歳、息子と命をかけたバトルが繰り広げられる。これほど面白いことは無い。
2月 23 2007 | 熊のつぶやき | No Comments »
木曜日, 2月 22nd, 2007
剣道の防具、最近は色とりどりで、非常にあでやかになった。
熊が剣道を始めた昭和30年頃は、子供は竹網胴、中学で生地胴、高校で黒塗り胴、が殆ど、県下に一人二人、大先生で金梨地胴、精精其れくらいだった気がする。
其れが、昭和も景気が良くなり、段々変わり胴が流行りだした。熊もご多分に漏れづ、
色々の飾り胴をつけた事がある、特に石目に凝り。三種類の石目を付けた。
処が、カナダに来て、その石目がボロボロにはげだして、見るも無残な姿になり、
結局は黒塗り胴に成り、おまけに胸飾りまでできるだけ黒の近いものに成りだした。
それには親爺のアドバイスも大きな切欠に成ったのだが、親爺が言うには、「黒が一番お洒落」なのだと言う。その背景に、もう一つ大事な事が隠されていた。
人間、誰でも人に良く見せたいと言う見栄の感情、其れは普通で当たり前の感情だ。
だが、剣道で良い格好をしたい、よく見せたい、勝ちたい、は我欲に繋がる。だから、出きるだけそんな邪心を招きやすい物は身に着けないほうが無難だ。と言う訳である。
確かに、大先生方の中に黒胴が多いことは事実だ。地元や、ご自身の道場で変わり胴をつけておられるところは目にする事が多いが、京都の晴れ舞台や、大会用のお道具は、黒が多い。
京都で八段の立会いを見て、鮫胴が7~8%。変わり胴それも地味な色合い2~3%%、黒塗り胴が90%以上を占める。其れは何故なのだろうか。八段審査でも合格する人の殆どが黒塗り胴の人が多い。これも何故。
審査委員の中に、若し、黒塗り同意外は合格させないと言う不文律があるのなら別だが、そんな話は聞いた事が無い。だが間違いなく、般若や派手な絵模様のお道具の方が、合格されたのを見た事が無い。(熊が知らないだけかもしれませんが)
熊の友人で、毎年アメリカから八段を受験している人が居る、その彼も気が着いたと言った。合格するのは黒胴だけ、黒の方が精悍に見える、と彼は言った。
精悍に見える其れは事実のようだ。熊もそう思う。
八段の京都の立会いでも、黒が圧倒的に多いのは何か隠れた秘密があるのかも知れない。とにかく黒はシンプルで、落ち着きがあり、一番無難である事は事実。
熊も今一番黒いお道具が好きだ。飾らない方が剣道そのものに集中できる。
2月 22 2007 | 熊のつぶやき | No Comments »
水曜日, 2月 21st, 2007
今日の稽古、1級のヤス、面を打たれそうに成ると、頭を横に振る。
熊が叱った。首を横に振ると、相手が見えにくなる。それと首をかしげる事は、
心が遣られた証だ、そんな事で逃げても何にも成らない。
心を打たれたら終わり、負け。頭を振って逃げるより、振らないで打たれるまで相手の打ちを確りと見届けろ。それが心を崩されない初歩だ。
だが、言うはやすいが、これが中々難しい。出来ているようで出来ない。
先ず何だかんだ言う前に、これを遣らない癖を付ける。
それが出来たら、剣道における心法はほぼ出来上がりだ。
脅かされない、ハッとしない、打たれるまで相手の太刀筋を見れるだけの度胸、それが出来たら何ら怖いものは無いは ずだ。
怖いから首を振る。ハッとするから首を振る、脅かされたから首を振る。つまり心が崩され たのと同じなのだ。
そんな簡単な事の稽古から、不動心、平常心の稽古が始まる。
2月 21 2007 | 剣道考察日記 | No Comments »
火曜日, 2月 20th, 2007
竹刀の好み、恐らく剣道をする人間なら、幾らか自分の好みが有るものと思う。
同じメーカーの同じ作りの竹刀でも、微妙にバランスも違うし、感触も違う。
熊は手が小さい。子供の頃から、小手の中に手を入れ続けてきたために、手が成長しなかった。その代わり肉厚に成った。と冗談で言っているが、真に受ける人がたまに居る。笑
高校生の頃、握りの細い竹刀が好きで、38の佐渡の鉄心(幻の名刀)を、わざわざ細く削ってもらっていた。その道具屋さんは、富山市入舟町に有る、山内武道具店の親父さん。熊の家からは汽車を二回乗り継いでいかなければ成らず、月に1回行くのを楽しみにしていた。
多分今も元気で居られると思うが、もう80歳を超えておられるのでは無いだろうか。
本格的に修行をした職人さんで、嫌な顔一つせづ、何でも直してくれた。
当然細く成った竹刀の握りにあわせて柄革も細く縫い直していただいた。
大人に成り、富山市に引越し剣道を再開して、またお世話になりだしたが、その頃はまだ鉄心が容易に手に入りはしたが、段々値段が高くなり昭和50年当時価格で12000円。
その佐渡の名刀の竹薮に花が咲き、竹山が全滅したとかで、今は幻の竹刀になってしまった。
その鉄心なる竹刀、肉厚で繊維が細かく、非常に長持ちした。昭和前期の名人中山博道範士が愛用されて、東京では非常に人気の高い竹刀で、昭和後半は中々手に入らない竹刀だった。
今熊の手元に2本の鉄心が秘蔵されている、その内1本が完全に肌を飴色に色を変えて保管されている。その竹刀は、熊の先輩、先生が、中山博道範士から頂いた物だと聞かされている。北陸金沢出身の博道範士は一時富山にも居住されて居たらしく、良く富山を訪れられたらしい。
その竹刀が俗に言う古刀作り。戦前に削られた鉄心と、戦後の鉄心、焼き盤の位置が違う。今は皆、名前文字を彫刻し打て有るが、当時は焼き盤、焼きコテが当てられていた。
それから、昭和の50年頃から胴張りなる竹刀が流行り始めて、60年代後半には、握りの極端に太い極太なる竹刀まで出てきた。
そしてその流行に御多分に洩れず熊も一応流されて、色々な竹刀を使ってみた。
胴張りは返し技が遣りやすい、だとか、古刀造りは面が打ちやすい等と、実しやかに囁かれたが、理由が考えられなくも無い。胴張りは、先が軽くなる。古刀は先調子。
だが、カナダに来てからは、竹刀の購入は非常に難しくなり、まとめて50本~100本購入した。その都度、メーカーが変わり、調子もバラバラ、有るもの何でも使うことになる。
勿論、割れ竹の後家で組んだ竹刀も使わなければ成らない。そのうち好みが無くなってしまった。
というより贅沢が言えなくなっただけの事。100本の竹刀と言えども親子三人で使うわけだから、1~2年で廃品になった。此処最近バンクーバーにも道具屋ができて、竹刀は簡単に購入できる。去年京都用に、1本は古刀作り、2本は極太握りで仕込み柄革を短く詰めてもらった。
その、極太の柄革も使い込むにつれ、革の表面がツルツルに成り打った時左手が滑り出した。確かに手の握りが疲れない利点はあったが、滑るようでは困る。去年の暮れ、新たに3本古刀造りで仕込んだが、その竹が真竹にも関わらず、一月で全部割れてしまった。
此処ではセントラル暖房で竹刀が極端に乾燥する為で、道具屋にそれを報告したら新しい竹刀、真竹を二本タダでくれた。これも古刀造りだが、握りがやや細い。
細い握りの竹刀は長時間稽古すると手の指が非常に疲れる。今それで丁度いい太さの握りの竹刀を探している。来月新しい真竹の竹刀が何種類かコンテナでドンと入荷するらしい。
必ず電話をしますから、先生の好みの竹刀を選んで下さいと、道具屋の社長が気を使ってくれた。ただ、熊が好みの竹刀だと言うと、道具屋が熊先生仕様等と宣伝に使われかねないので、うかつに選べない。苦笑。
事実去年は、熊仕様を店に飾らせてくれと頼まれたが断った。宣伝効果が有るのかときたら、やはり影響力は有るのだという。熊仕様は高くても売れるのだそうだ。笑。
日ごろ世話になっている道具屋さんだから、それくらいの協力はしてやっても良いかなと思ってみたりもしている。握り中太の古刀作りで先軽の竹刀で柄革長さ29.5cm、それが今熊の手には馴染む。

2月 20 2007 | 熊のつぶやき | No Comments »
火曜日, 2月 20th, 2007
剣道の古歌に曰く、
「手で打つ心は初心なり、足で打つこそ上手と知れ」と言うのが有る。
人間面を着けると、どうしても叩きたくなる、打たれまいとする、恐怖心の表れか、負けたくない我が出るか。
下手な人ほどバタバタする。だが、その割には打ちが定まらない。そして、例外に無く、叩かれたら痛い。
力がついつい入るのは、殆どがある種の恐怖心から来ている事が多い、その次に異常な興奮状態になる事だ。それもまあ、恐怖心と言えなくも無い。
剣道における技術修行は、殆どが軟らかい力の抜けた技を、身に付けることに費やされる。
それも何年も何年も掛かってやっと幾らか出来るように成るのだ。莫大な時間が必要だ。
10年より20年20年より30年。勿論個人差が有るし稽古量にも寄るし、工夫の仕方でも効果に違いが出てくる。
だが、長年稽古したほうが間違いなく力が抜けることだけは間違い無いようだ。
これは何故だろうか、熊は打たれた回数だけ力が抜ける。と生徒に言う。打たれた回数、稽古した回数。面を着けた回数。何のことは無い、なれるしか方法が無いと言う事だ。
100回面を打たれた人と、1000000回打たれた人では、当然、打たれた経験が違い、その分恐怖心がなくなっているはずだ。
打たれ慣れる事でしか経験が詰めない。どんな名人でも打つ瞬間は力が入ると言われている。
打たれる恐怖心、打ちたい我欲から抜け出す事が、脱力の一番の早道だと思う。
脱力が出来れば出来るほど、剣道は強くなる。
手で打とう打とうと考えて居る間は、上達はおぼつかない。それだけは事実だ。
2月 20 2007 | 剣道考察日記 | No Comments »
月曜日, 2月 19th, 2007
昔、正岡一貫と言う、居合道範士九段、剣道範士七段の先生から指導を受けた。
今は殆どが全剣連居合が中心に成ってしまったが、その頃は、まだ、試合も多くなくて、学ぶのは古流が殆どだった、丁度全剣居合いが、7本制定された頃の事である。
その頃熊が習った居合いは、実戦に近いものだった。今の制定居合いはどちらかと言えば、審査、試合に統一性をもたせる為に決められた物であるから、どうしても実践的考えから幾らか剥脱している。
その先生は、物凄い研究をされていた、著書もあるが、今は同じ流派でその弟子筋に当たる方でもその本の通りに抜いている方はお一人も居ない。其れは何故か、段審査に有ると思う。
段審査を受けようとすれば、どうしても力の有る審査委員に取り入らなければ成らない。そうすることによりその審査委員の言う事や、考える事、教えられる事をやらねば合格できないわけで古い教えや、理合いがドンドン消えて行ってしまったと考える。
何故熊がこんな事が言えるのか、其れはカナダと言う剣道から診れば僻地のような所で、修行を続けていると、当時、日本の情報が全く入ってこない、だから、昔習ったそのまま稽古を続ける事に成る。当然古い時代がそのまま残ると言う事になるからだ。
それで渡加11年経過で、居合いの6段を受けに日本に帰国して講習会成る物に出た。もうその頃は正岡先生は鬼籍の人である。新しい勢力下、制定居合いが幅を占めていた。
勿論、制定居合7本は、日本でも修めて居たので、3本だけ新たに学べば、何等問題は無かったのだが、古流を習った通りに抜くと、色々クレームが付いた。 で、熊は納得が行かない事は耳にいれない頑なな処があるので、その理合いを聞いた、答えが帰ってこない。理合いが無い。昔からそうだ、としか言われないの である。其れは可笑しいと思った。
正岡先生は、特に居合いは、刀を抜く、命がけの状況下での事。爪の垢ほどの無理も無駄もあっては行けない、其れが居合いという物だと申されて、理合いは徹底してて教え込まれたからである。(其れが現在の熊の剣道感にも現れているミクロの矯正は其れ)
六段拝領後、羽賀の親爺にその本を見せて、意見を聞いた。親爺は、正岡先生はさすが物凄い研究を成されていたんだね、君はこの御流儀を続けなさい。と言われて自分の研究の為にと、熊の手元に2冊あった正岡先生の著書を1冊日本に持ち帰られた。
だが此方としては、この流儀を続けても誰も解らないし知らない時代が来る。
要するに、時代遅れに成る訳だ。古い大範士が今の剣道審判規則をご存知何位似ている。だから、その正岡流古流は熊の教え子、一子相伝にしようと考えた。
段位審査は、現在の段位審査用の居合いを学べば良い。だが古流の持つ真理は誰が何と言おうと、歴然とした、真理、真実が其処に隠されている。一つ間違えば命が無い。其れが原点だからだ。
だが指導者の端くれとして、時代遅れで、とうとうとしている訳には行かない、何故なら熊から居合いを学ぶ人は皆、時代遅れではすまないからだ。それでどうせ、古流が鍋に蓋で世に出ないなら、新しく居合いを学び直そうと決心して、羽賀の親爺に頼み変え流をさせて頂いた。
何故なら、羽賀の親爺は正岡先生の居合いを認めて、自分もその中から学び自分の居合いに生かそうとされた。その謙虚な態度が、真理を求める武芸者の心と熊には映ったからだ。
2月 19 2007 | 熊のつぶやき | No Comments »
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